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[コメント] ツリー・オブ・ライフ(2011/米)

「一書(聖書のみ)の人」が多数存在する欧米において、聖書のみを哲学の中枢と為す作品の存在は認められてもいい。しかし唾棄すべきはその一書をもって、練られるべき映画作品のプロットが弛緩してしまったことの言い訳に使う映画人の存在だ。
水那岐

冒頭に旧約聖書「ヨブ記」の引用がなされる。ヨブは手塚治虫火の鳥』の猿田彦のモチーフだったりするから、比較的日本人にも知られた人物ではあるのだろうし、本家本元の欧米人ではよほどナイーフな人しか感心してはくれまい。

その後に本筋は描写される。厳しい父親と慈愛に満ちた母親のあいだで煩悶する報われない少年の物語(?)だ。これを観て「なるほどね」と棒読みで嘆息するのは、なんて陳腐な解釈なのだ、と思ったからに他ならない。「一書の人」が映画を撮っていけない理由は何もないが、そこに求められる観客の思いは、おのれのバックボーンたる一書を深く読み込み自分のものと為した上での「再生」を可能とする手腕だろう。これはどんな主義主張をもち、どんな宗教に属しても同じことだ。

しかし、「普遍」を達成できても、それをあまりに陳腐で新味のない作品に仕上げれば監督に罵声は避け得ない。その危険への最低な対策は開き直りだ。父と子の厳しい関係を神と人間との愛憎におきかえた開き直りの序でに、天地開闢以来のありとあらゆる緊迫と慈愛との相克を思わせる風景を、執拗なまでに並べ立てたことでテレンス・マリックは逃げようとした。これには正直呆れ果てた。

ヨブという信心の権化のような男を前に、神と悪魔は「信心とは不変であるか」という命題の前にゲームを繰り広げ、その結果ヨブはさまざまな不幸と苦痛に晒され続ける。 それだけを親子に移し変える手はあろうが、マリックはそれが普遍にならなかった結果をみてこけおどしの特撮に挿げ替えたのだ…『2001年宇宙の旅』に等しい売り方で。あれを難解な哲学作と見る観客は多いが、余計な枝葉を削ぎ落としてしまえば、単なる人類を進化させてくれる超絶的存在=神を物語る宗教物語にすぎない。観客はリアルな宇宙と宇宙船に騙されたのだ。

この映画もそうだ。普遍的と映るのはよくある家庭内悲劇であるからで、それをなぞる前に宇宙や化石生物のイメージを見せられて目を狂わされた観客が、そこに何らかの意味を自ら加えた結果の落とし穴への陥落により、まんまと騙されたということだ。

幸か不幸か、日本人のなかには無宗教を標榜する人が多数いる。そうした皆さんにこそ、こうした無内容に虚飾を纏わりつかせただけの作品のペテンを暴く素質があるように感ずる。

(評価:★1)

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