★3 | 忍びの者(1962/日) | 事件を動かしているのはあくまで雄之助で、雷蔵は状況に翻弄される。それをいいことに、雄之助はおふざけが過ぎ、加藤嘉ら脇役組と藤村志保の汎モンゴロイド顔が物語を型にはめる。 | [投票(1)] |
★3 | 愛と哀しみのボレロ(1981/仏) | フランス語圏の受け手以外を想定しないような、ドメスティックな感傷に依存した話に見える。作りの計算高さは、美術に好ましい効果を及ぼしているが、同時に、箱庭感によって感傷が閉塞して、普遍性に至り得ないのではないか。 | [投票(1)] |
★4 | デルス・ウザーラ(1975/露) | 尻尾を振る子犬のような「かぴた〜ん」の媚声をうれし恥ずかしく享しめるのは、政治的な正しさから無縁だからだろう。危機の創造と展開にあたっては、有無も言わせず事象を受容させるような、純化した技術論の迫力がある。 | [投票(1)] |
★3 | 殺し屋たちの挽歌(1984/英) | 肉体に刻印された行動生態学の宿命と戦うのは、好ましい意気地だ。ジョン・ハートにとっては、それは女性を前にした求愛の無意識の挙動に抗うという形で表現されている。自然へ反逆する課題が、キャラクターへの受け手の好悪の誘導に利用されている。 | [投票(1)] |
★4 | 追想(1975/仏) | メタボを戦闘機械にするのは、自身がメタボであるロベール・アンリコの邪念であるが、フィリップ・ノワレはこの邪念に対応しながらも、やはり体は正直で、交戦後に草むらに転がり喘ぐ場面の尺は長い。 [review] | [投票(1)] |
★3 | 鴛鴦歌合戦(1939/日) | 冒頭のディック・ミネがよかった。あそこで彼は、人格という見ない現象を、ただ楽曲に応じて挙動することで短時間のうちに表現してしまう。 | [投票(1)] |
★3 | 組織(1973/米) | この試練の緩さや甘さを、ロバート・デュバルの薄毛に対して行われた、格差是正的な措置の表れだとは思わせない人徳が当人にある。特に、救急車で脱出する件とか。語り手の同情というよりも、薄毛性がロバートを救っているという感覚である。 | [投票(1)] |
★3 | 運動靴と赤い金魚(1997/イラン) | 階級の再生産から脱しようとする普遍的な主題を定着させている。庭師の件で、息子に発現した教育の効能を父親がよろこぶところが、その最たるもので、同時に、そうすることで父親は自らの造形的な奥行きを広げている。 [review] | [投票(1)] |
★4 | ゼロ・グラビティ(2013/米) | ペース配分が気になった。序盤の、クルーニーの白馬王子化を超える感傷がなく、結果、ソユーズ内の愚痴が、コンフリクトとしては長く機能しすぎな印象を受ける。この重さは、サンドラの性格造形に疑念を及ぼす。 [review] | [投票(1)] |
★3 | ディーバ(1981/仏) | 説明のつかないガジェットは無数にあって、そもそも根本から、ディーバなしに成立する話である。それらが存在せる理由を求めて、カメラは虚空をさまよい、かと思えば、カットを割り出してしまう落ち着きのなさで、映像文法がシナリオの提示に戸惑っている。 | [投票(1)] |
★3 | ミッドナイト・エクスプレス(1978/米) | 司法も雑であれば、刑務所の管理体制も雑で、このままだと場当たり的な話にしかならない。何か論理的なことが行われていたという実感をもたらす尽力は認められるものの、構成への意欲は、冤罪感を醸すような、受け手に感傷を駆り立てる試みに堕している。 | [投票(1)] |
★3 | ダラスの熱い日(1973/米) | オッサンらの祝祭のような砂漠の火遊びが、既知の反復へと還元されてゆくこのつらさは何であろうか。語られているのはキャラクターではない。単なる属性の運動なのだ。 | [投票(1)] |
★3 | 眼には眼を(1957/仏=伊) | ストーキングされる不快感を、加害者も自虐することで中和して、ある種のサバイバルの観察を享しめるように作られている。ただ、この中立化は、オリエンタリズムの問題を顕現化させるようでもある。 | [投票(1)] |
★3 | ル・アーヴルの靴みがき(2011/フィンランド=仏=独) | 偶然的様相のアホらしい好ましさは、それが偶然だからこそ、聖なるものになるはずだ。ところが、事件の極限性をあくまで他人に生じさせるこの話の客観性は、かかる偶然に恩寵のしるしを見いだせない。これはむしろ、偶然に急襲されたという感覚に近い。 | [投票(1)] |
★4 | 最高の人生の見つけ方(2007/米) | そもそもこの金満家のオッサンには人生の課題を見込めないのだから、物語は奇妙な背馳を始める。あくまで、何事かが解決されるという感覚が先行するのであって、解決されたのだから、課題は確かにあったのである。 [review] | [投票(1)] |
★4 | 別離(2011/イラン) | 深刻な課題とした地理の遠隔性が、エキサイトする話に引きずられ、やがて人々は縦横無尽に移動できることになる。かかる曖昧さは、本作の緊張の依拠となる子どもの罪悪感をわれわれが想像し共有する能力をも奪いかねない。 [review] | [投票(1)] |
★4 | 悪の教典(2012/日) | 仕事ができることの徳性を、理念的な舞台を設定することで、抽出しようとする志向は、生徒らを技術的特性で分類して組織化する試みからも、明らかだろう。かかる徳が、徳とは全く反する現象から浮かぶ様には、独特の眩惑がある。 [review] | [投票(1)] |
★3 | 閉ざされた森(2003/カナダ=米=独) | トラボルタの視点が入ってしまうことが問題で、ミスリーディングとして機能させてはいるのだが、オチを考えれば、これはノックスの十戒に違反してはいないか。 [review] | [投票(1)] |
★3 | のぼうの城(2011/日) | 甲斐姫が動機になっているように見せたいのは理解できる。が、この観点からオチを観測すると、そもそも最初から戦いは不要という結論に至りかねない。 [review] | [投票(1)] |
★3 | アラビアのロレンス(1962/米) | 戦争神経症やセクシャリティの問題など、個人に発現した課題が、民族的憐憫と取り違えられている。あるいは、より意図的に、問題を個人に限定するか、社会経済に拡散させるか、場面に応じて使い分けがなされている。 [review] | [投票(1)] |