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disjunctiveさんのコメント: 投票数順

★3ウォルター少年と、夏の休日(2003/米)疑似家族も全能感も、少年ではなく、老人の願望充足を想定している。しかし、その全能感のあり方は若々しく、少年の想像力に依拠して、老人の願望を当て推量した結果、欲望の誤配線が生じているように見える。 [review][投票(1)]
★3モーターサイクル・ダイアリーズ(2004/米=独=英=アルゼンチン)序盤で興行性の中心を担っていた移動の困難が、次第にスポイルされてしまう。もはやタイトルが話の実体を表現しきれないほど、地理感覚が寸断され、場面の有機的な連携が見えなくなる。 [review][投票(1)]
★3パンズ・ラビリンス(2006/メキシコ=スペイン) ヴィダル大尉(セルジ・ロペス)のひげそりが見事で、この豊饒な情報量を超えるものが作中に現れない。彼は、トロのマンガ的想像力を引き立てるどころか、マンガであることの根本的な貧困を知らしめてしまう。 [review][投票(1)]
★3恋におちたシェイクスピア(1998/英=米)興行主のトム・ウィルキンソンは、成長できるキャラ造形という点で、時間経過の指標となる。対照的に、ヴァイオラ側は、もはや変わりようがないという特性を引きずっている。 [review][投票(1)]
★4マレーナ(2000/米=伊)興行上、ファシズムの農村近代化を検討する立場を避けねばならないのは理解できるが、他に家計の手段があったと思わせることが話をスポイルするとすれば、近代化の肯定以外の何物でもなくなるのではないか。[投票(1)]
★4つぐみ(1990/日)牧瀬理穂の屹立とした顔面は、光源によって趣を変えて行く表情筋の地誌である。90年代前半型デューク真田がそこに投じる不穏な影の往来が、われわれの欲望を、条例違反のボーダーライン上で縦揺させる。[投票(1)]
★3髪結いの亭主(1990/仏)実体経済に裏打ちされない架空戦記状のロマネスクが、オッサンのヒモ生活という類型に破壊されようとしている。経済の論理文法を当てにできない舞台にあっては、どのようにして、行為のもつ悲壮感を知覚すればよいのか。[投票(1)]
★4マジェスティック(2001/米)人物の自律性を担保する公準に自信がない。恣意的に造形を帰属させるにつれ、人物を意味ある現象として語り得なくなってしまう。そこで作り手が政治的冒険に情緒を訴える資源を見出すのは、それはそれで作劇の実践なのだろうが、人情がないとも思う。[投票(1)]
★4まぼろし(2001/仏)ほんらい全宇宙のメタボにとっての朗報だったはずだ。しかし、シャーロットの田原総一郎化した頽朽の顔面は、ラストの浜辺のごとく、不幸に対する敬意をあくまで拒絶する愛の遠近感覚でわれわれを苦しめるのである。[投票(1)]
★4隣の女(1981/仏)行動する人への教訓を笑いで眩惑するのもまた教育的措置の変異と解せる。しかし、あくまで笑いを圧政的にしない作詞法はやさしさでもあろう。[投票(1)]
★4コンボイ(1978/米)あくまで陰惨な華やかさのよろこびと戦おうとする実践が、ニューシネマの知見をジャンル的与件へ落とし込みながら、実のところ、詩的な具合にも整えられようとしている。多くの散乱した当事者を共感的な応答でひとつの構造へ集約するのは修辞学の努力だろう[投票(1)]
★4アフタースクール(2008/日)情報開示の驚きは重視せず、イベントに対するキャラの反応が彫琢してゆくアレゴリーの方へ受け手への感化を託した場合、救いの指標が不明瞭になるのはよくないと考える。 [review][投票(1)]
★4密告・者(2010/香港)不幸の重みに耐えられるよう鈍化したニックの所作に見所は薄く、あくまで職場放棄しない強盗団副官のハナ肇(パトリック・キョン)の美しさが引き立つばかりだ。しかし同情をおもねってやまぬアピールは、やがて受け手の嘲笑をドン引きへ落とすほど累積する。 [review][投票(1)]
★4コクリコ坂から(2011/日)ドヤ顔昭和30年代風俗観察に始まり、同種の認知を求愛行動のフラストレーションにして煽る下世話エンタメ。セクハラの概念がないことをいいことに、スキンシップしまくる理事長のオッサン。ことごとく品がない。それがうれしい。[投票(1)]
★4人生とんぼ返り(1955/日)安易に学習されるために行き場を失う感のあるリアリズムは、森繁の症例の劇画化へとメタ化し、リアリズムを表現するためにそれを捨てる。一方で、余裕の河津清三郎らは泥沼化した定義問題を酒の肴にしてはしゃぎ、受け手の情緒を引き締めてしまうようだ。[投票(1)]
★4神阪四郎の犯罪(1956/日)虚言癖だからこそ、生理的な形質が一定の閾値の収まらないと尤もらしさが出てこないと考える。その意味で、左幸子編の森繁は見世物として正しすぎるあまり、モチーフをぶち壊してしまう。今となっては金子信雄裁判長のほうがよほどこわい。[投票(1)]
★3父の祈りを(1993/米)境遇の低い初期値と監獄の緩い管理体制が冤罪の恐怖を中和するのではないか。成長に語りを投資せねばならないことは自明だが、構成に対する焦燥感が今度は次シーンで唐突にイケメン化するダニエルとして帰結し、タイムスケールの描写に失敗する。が、これはこれでヒューモアでもある。[投票(1)]
★3Vフォー・ヴェンデッタ(2005/米=独)薄気味悪いコスプレ中年に口説かれてもナタリーならば仕方ないという情けない説得力がある。要は、暇人が仕事を増やしすぎたとしか言いようがない政治的世界観が行為の信憑性の試練に耐えられないため、彼女のふわふわ造形に依存しているように見える。[投票(1)]
★4息子のまなざし(2002/ベルギー=仏)一発芸の衝撃が文芸的課題の余韻を残さず、事を制度運用の欠陥というか、単にテクニカルな問題に還元するように見えた。こうなるとガン見せざるを得なくなるのは、バゲットサンドをシマリスのように頬張る福田康夫(オリビエ・グルメ)の愛らしき生態そのもののように思われてくる。[投票(1)]
★3ティム・バートンのコープス・ブライド(2005/英)光彩の抑揚を打ち消し合うように作用する彼我の舞台が、肉の思い出の実効に要する距離感を女に許さず、思慕に堪えざらしむ表現がむつかしくなったように思う。男にとっては、女の嬌姿が同情の散布界をばらつかせる結果になったのではないか。[投票(1)]