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[コメント] スペース カウボーイ(2000/米)

宇宙という所は、暗く、冷たく、果てなく、空虚な、「人間的なもの」を完全に拒絶する極限空間なのだが、それをイーストウッドが撮ると、宇宙の闇まで人肌の温もりを得てしまう。その人間味のお陰で、宇宙行きまでは愉しめるのだが。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







爺さん達が「イヤッホウ!」と心待ちにしていた宇宙が全然宇宙っぽくない。隣の家のガレージくらいの距離感だ。

その少年ジャンプ的暑苦しさと荒唐無稽さを別にすれば、『アルマゲドン』とストーリー的には大差ないような印象さえ抱いてしまうのは、終盤の宇宙シークェンスで、それまでのシニカルだが温かみのあるユーモアが、一気に引っ込んでしまったせいだろう。やや早足気味な割りには、冗長に感じる。宇宙ミッション物の大きな魅力とは、広漠とした無の空間、絶対の闇、数ミリの狂いが人間を無限の果てに放擲してしまいかねない極限状況での、極度に緻密さを要求される厳しさにこそある筈。イーストウッドの演出には、そうした神経質さが足りなさ過ぎるのだ。『ライト・スタッフ』、『アポロ13』、『ミッション・トゥ・マーズ』等の作品がある中で、本作の、「老人」という特質を活かさぬ宇宙シーンは、退屈以外の何ものでもない。

それまでの、諧謔と陽気さに満ちたドラマが一気に「核兵器」という破滅的大状況へと突入する終盤は、作品のテイストを変えてしまう。それまで通り、口の悪い爺さん達が減らず口を叩き合いながらも、熟練の職人としての技量を発揮する話にしてくれていた方がどれだけ良かったか知れない。チーム名の「ダイダロス」(ギリシア神話の工匠)が泣く。尤も、宇宙開発自体、仮想敵国・旧ソ連との競争という面があったわけで、その後始末を爺さんがやる必然性は分からなくもない。「アメリカ」という国を一身に引き受けてその落とし前をつけるという点で、実にイーストウッド的な物語でもある。その役割を引き受けているのはトミー・リー・ジョーンズだが。老境に入ったイーストウッドの命題たる「老いとどう向き合うか」という主題のSF版。

宇宙そのものには特に思い入れが無さそうなイーストウッド。宇宙シーンのショットには、宇宙の遠大さ、冷厳さが余りに弱い。勿論、宇宙モノを撮っても人肌の温もりを画面に湛えるイーストウッドの演出力が素晴らしい、と評価することも可能なのだが。この辺はもう、イーストウッドと宇宙、どっちが好きですかという話にしかならない。僕としては「宇宙を人肌にあっためてんじゃないよ!」と、大いに不満なんですがね。正直、『月世界旅行』の宇宙の方がまだ宇宙らしさを感じる。

と、まぁこのように「こんなの宇宙じゃないよ!」と、やや立腹気味でさえあったのだけど、そこにラスト・カットのトミー・リー。誇り高き亡骸を月面に横たえる彼の顔は窺い知れないが、そのヘルメットのガラスが、地球の浮かんだ宇宙を映し出す。人肌の温もりの宇宙の闇は、ここでトミー・リーの顔貌と一体になることで、自らを力強く肯定する。このラスト・カットには救われた。

キュートなドナルド・サザーランドがいつの間にか忘れられた存在になったり、ジェームズ・ガーナーの牧師という職業が大した意味を持たないこと、ガムだか噛みタバコだかをクチャクチャやっているウィリアム・ディヴェインの毒舌ぶりがミッション開始後に発揮されない寂しさとか、色々不満はあるんですが。

因みに「ダイダロス」はイカロスの父でもある。人工衛星の「墜落」を阻止する為に自らが「墜落」したトミー・リーを思うと、何ともアイロニカル。

(評価:★3)

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