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[コメント] もののけ姫(1997/日)

「もう、何も読み取ってほしくない」というメッセージ。
ジェリー

どの登場人物も自分の都合においてしか行動せず、その限りにおいては神も動物も人間も同じ次元であると同時に、同じ次元で「しかない」というさめた見方を宮崎駿がしているように感じられる。単なる自然礼賛やエコロジー思想にストーリー展開上依拠しつつも、そんなメッセージを伝えたいからではなく、彼はもっと冷ややかだ。メッセージを読み取りたいなら勝手に読み取ってほしい。しかし、それは私の責任ではなく、あなた方の責任においてやってほしいことだ、宮崎駿は、そう言っているように見える。

むしろ、単純なアニミズム回帰をやってのけた方が、新作を出すつど出すつど、社会現象的に取り上げられ、初心者やオタクまで愛好の度合いの異なる多様なアニメ需要者からそれこそ百花繚乱の読まれ方をされてしまうことに吐き気を催すくらいに飽いてしまった宮崎駿としては、ある意味映画的冒険に感じられるのではないか。ポストモダン化の徹底。作品のオープン化。それはそれで成功している。

それぞれの固有の動機や利害で複数の諸力・諸集団・諸個人が動きあえば、衝突はあっという間に出現してしまう。それってしょうがないことじゃないか。世界はどんどんシンプルになっている。世界観を作る必要なんてなくなってしまった。将棋のように、盤上には色分けのはっきりしたどちらかの陣営の駒しかない、そんな単純な二元的世界は、1990年にソ連の崩壊によって終わってしまった。これからはもっとシンプルな原理が働く変わりに動きは複雑になる。社会のそういう有様の変化を1990年代後半に作られたこの映画は伝えているようにも見える。しかし、そのメッセージも揺らぎの向こう側にしか見えていない。我々は、来るべき世界を強固な信念で語るのではなく、一種の確率論でしか語れなくなった。ポストモダンの徹底は、一面、実にさびしい。

連帯の可能性はどこにあるのか? この映画では、鎮座する「中央」によって遠く隔てられた「東」と「西」の間にしかないように描かれる。それは利害が一致していることによる可能性ではなく、共通の利害がないことによる連帯の可能性なのだ。まさしく世紀末の作品だ。

(評価:★3)

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