コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] ジョーズ(1975/米)

観客の想像力を徹底的にかきたてる焦らしプレイの最高峰。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







…というとストリップの演出のようだけど、本作って公開当時そういう褒め方をされていたと思う。要するに徐々に脱ぎながらご開帳までを使ってどうやって「高めて」いくかっていう技術論として。

「姿の見えない恐怖」という前戯でのテクニックでは「背びれ」さえなかなか見せない。「サメ」で「姿をみせない」って言われりゃ普通は「背びれ」にいくだろう。そこが「樽」っていうのがやっぱ天才。「2つでもぐりやがった」で怪物のパワーを表現しちゃえるわけで、これは背びれじゃ無理。3つの樽をつけて自由に泳ぎまくる段には、もうコメントさえ必要ない。水中モーターで引っ張られる樽を見てドキドキワクワクさせられる観客はすでに翻弄されているのだ。

冒頭の姉ちゃんのウィンチを思わせる「超自然」的な動き(機械的に見える動きが逆に効果的)、捕獲されたサメのバカっと空いた口を測り「噛み傷に対して小さすぎる」という台詞、歯を引っこ抜いた時の生首の登場は、ショックシーンでありながら、船底への刺さり具合の強さ=噛む力の強さを表現してしまう。そして初めて署長がご対面する時の見せ方は名場面だが、その後署長が船室に後ずさりしながら「船が小さすぎる…」って台詞でさらに追い討ち。これらは「樽」に比べればありふれた手法かもだけど、小出しに見せる見せ方やその順番とかテンポがうまいんだろうな。

怪物を表側に出してからは、今度は裏でだんだん沈んでいく船(徐々に狭まる安全地帯)という装置を起動。怪獣との格闘に気をとられているうちにいつの間にかもう船が船の形でなくなっちゃってるという、ご開帳に気をとられていたら自分が舞台にあげられていたっていう感じ(しかも脱がされて)だ。最後シナリオと変えてサメを爆発させるっていう監督のアイデアも正解だったと思う。プカーっと死体が浮き上がってなんてのじゃ満足しない。ドカーンのほうが圧倒的にいい。

ところでスピルバーグは音楽家に関しては、一発目で(監督にとって)大当たりだったなあと思う。映画監督にとって一番自分のコントロールできない、人に頼らないといけない度合いが大きいのが音楽だと思う。自分のイメージを的確にかつそのイメージ(おそらく大半の場合「既成曲」をイメージするんだと思う)を超えるものを出してくれる音楽家との出会いは重要だ。黒澤明も早坂文雄が亡くなった後相当困っていたようだし。まだ音楽の入っていない段階での試写をみた映画会社の反応は「まあまあ面白いんじゃない」ってくらいの反応だったらしい。このエピソード、ほとんどの人は納得でしょう!

(評価:★5)

投票

このコメントを気に入った人達 (11 人)t3b[*] sawa:38[*] ぽんしゅう[*] Myurakz[*] シーチキン[*] CRIMSON[*] 3819695[*] ナム太郎[*] 緑雨[*] けにろん[*] uyo[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。