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[コメント] トゥルー・グリット(2010/米)

やはり私にとってのコーエン節とは「人生はままならない」なのだ。人が意志と違うことに巻き込まれて流されていったことの一部始終というドラマを一貫して感じる。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







共通言語であるはずの「ビジネス」を媒介にして話をしているのに、大人はなぜか非協力的である。子供視点での「人生はままならない」節。最初はちぐはぐな同士が、目的のためにやがて結束していく。そしてそのうちの一人が危機におちいった時に、本当の意味での強い信頼関係が芽生えていく…こんなふうなテキストがあれば、「人はわかりあえた」、「今、絆が生まれた」、もっとそういうふうにいくだろう。児童文学というフォーマットだったら、間違いなく「勇気」「強い意志」「信頼関係」を称えるだろうし、大人の小説なら「社会批判」あるいは「ファンタジー」か。

考えてみれば、フィクションでも実話でも、事象の多くはまずそういうふうに理想主義的な視点で振り返ることがふつうなんだな、ということがコーエン作品を見ることで逆にわかる。小娘が父親の仇討ちに賞金稼ぎを雇って、先住民居留地へいって、それを苦労の末成し遂げたのは良かったんだけど、自分は蛇にかまれて片腕を失ってさ、その後も一生独身だったってさ、へー。っていうただの事実、ただの伝承。

近代になって、フィクションを楽しむようになった人々の文化生活の余裕とか、教養の水準がいつのまにか物語に何かしらの「テーマ」を盛り込むことを欲するようになった。われわれもつい「この作品のテーマは…」と考えがちではないか? コーエン兄弟ってそういう近代的な物語のあり方をフォークロアにまでいったん回帰させ、これという教訓もオチすらもないような伝承を、じゃ、だからといってつまらないか、というわけでもないという、ただの事実の断片が現在も娯楽として成立するという、そういうことに挑戦しているのかな、と思うのである。

また、民間伝承と理想主義的な物語に顕著に違うのは、理想を語るうえで必要な、設定や登場人物に対しての「役割」の持たせ方と思う。伝承の魅力のひとつはテーマ性に関係のない無意味な断片であり、そういうところに手をぬいていないことは間違いない。

(評価:★4)

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