[コメント] リアル鬼ごっこ(2015/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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可愛い女の子。綺麗な女性。男なら誰でもイカガワシイ妄想をしたことがあるはずだ。所謂オ○ペット。 この映画の前半、ビルケンシュトックじゃなくてトリンドル玲奈のクダリは、男の欲望を、その対象にされた女性の側から描いたのではないだろうか。
何だか判らない力(風)に追われるのは、目に見えない男の欲望に晒されている象徴なのだろう。マンガみたいな「キャッキャした女子校生」なんか男の妄想でしかない。もはや女子校生を描く気すらない。女子というただの「記号」。 学校名は「私立 女子高校」。この映画に固有名詞はない。名前なんか何だっていい。ただの女。 男からしてみたら、身に覚えがあるだけに、すごく嫌なものを見せられる。 (そしてそれらは、終盤、斎藤工のクダリで明示される)
男の欲望vs“女性”という前半に対し、篠田麻里子のクダリは“女”vs“女”の物語になる。 それまで逃げる一方だった主人公が戦う姿勢に転じる。 これもまた、女の生きる術。
そしてマノエリは走る。 皆の声援を受けながら走る(もっとも、この声援を真に受けていいのかどうか分からないけど)。 やがて彼女は、穢(けが)れを知らない小学生の頃を思い出す。無心に走っていた頃を思い出す。疲れを知らない子供のように(<布施明か)。 しかし時は追い越していく(<だから布施明か)。 決してあの頃には戻れない。
直後、ビルケンシュトック玲奈は、赤と青のコードを引き、痛みを伴って新しい扉を開く。 それは、彼女が穢れを知る瞬間なのだ。実際、扉の向こうには男が待っている。 (正しくは「厨房のデブ」。つまり、性的な魅力のない男で、むしろまだ食欲の方が上回っている。もしくは中坊とかけたのかもしれない)
遊び道具でしかなかった「枕」が性的な意味を持った時、彼女はその羽毛を赤い血で染める。 天知茂の明智小五郎「パノラマ島奇談」よろしく女性たちが並べられ、「DNA」という言葉に置き換えられて「性の対象」だと告げられる。 実はこの映画、ここからが始まりで、冒頭に戻るんじゃないかとさえ思う。 この映画が描く恐怖は「目に見えない欲望に晒されること」なんだと思う。
しかし、この映画で描かれる女性は「ウェディングドレス」までで、その後が描かれることはない。 そして、その矛先が男に向かうこともない。 「世の中はシュールだ」「走り続けろ」と映画は言うが、女性が勝利する瞬間はついぞ訪れない。それは映画としてカタルシスがない。
あ、そうか。これ、「鬼ごっこ」だった。 「男の欲望(=鬼)から逃げ続ける女」(女の羨望とは戦うけど)。これが園子温の考える『リアル鬼ごっこ』だったんだな。 ちなみに園子温、原作読んでないそうですよ。
(15.07.19 109シネマズ二子玉川にて鑑賞)
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