[コメント] プラネット・テラー in グラインドハウス(2007/米)
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リビングデッドの影がちらつき始める序盤、そして人々がゾンビ化して、あちこちでカオスが広がる中盤・・・段々とテンションがヒートアップし、そのボルテージは生き残った集団がリビングデッドたちに果敢に飛び込んでいく時に最高潮に達する。かつてのジョージ・A・ロメロ、ジョン・カーペンターの映画をスクリーンで観ているかのようだ。
俺は基本的にゾンビ映画が好きだ。そこに描かれる退廃的で終末的な世界観や、その内容が。たとえ身近な人間であってもゾンビになったからには殺すしかない。純粋に人肉を欲しがる本能的な存在に対し、人間も本能のままに逃げ、時に立ち向かうしかなくなる。生きてる人間を殺すことは非人道的であっても、ゾンビを殺すことは許されてしまうという荒唐無稽な設定。その中では、人間の形をした者を殺すことに後ろめたさを感じず、むしろそこに快感さえ味わうことができる。映画ならではの快感だ。
「機密の薬品のせいでゾンビが街にあふれかえり、それに立ち向かうことを余儀なくされる」これ以外にはせいぜい、山小屋で死者の書発見しちゃったとか、火星に行ったら火星人の幽霊を発見して戦うことになったとか、変な猿に咬まれたってプロットくらいしか、俺はゾンビ映画のプロットを知らない。しかしそんな使う古されたプロットでしか作られていない映画が、非常に新鮮。これはキャラクター造形に尽きる。宣伝で全面に押し出された片脚マシンガン女チェリーがカッコイイのはもちろんのこと、突如ガンマンと化すレイ、テキサスの哀愁漂うJT、注射器女のダコタなどなど。こんなキャラクター達の存在があるからこそ、血と膿が飛び散る大殺戮が面白くなるんだ。タランティーノは多少悪ノリの感があったけど。
あと個人的にツボだったのが、ラブシーンのブツ切り。考えようによっては、ああいう状況でのラブシーンってものすごくロマンチックだ。建物の周囲はゾンビがうごめいている。明日はもう来ないかもしれない。そんな終末的世界であるからこそ、男と女は離れないことを願いながら、お互いを求める。で、そんなムードで突如画像が乱れて「一巻消失」。次の瞬間、ゾンビがうじゃうじゃ侵攻して保安官が血まみれになってる。作為的にこれをやるってすごいセンスだ。
そんな感じで個人的にかなり満足したので、注射器女ダコタの息子のトニーが、ロバート・ロドリゲスの息子だったことはこの際どうでもいいや。『ダイハード』のハゲが何しに出てきたのか分らなかったことも、この際どうでもいいや。
そうそう、タラが出ていたシーンで流れてる『女体拷問鬼看守パム』って映画をもともと俺は知らなかったんだけど、「あ、あのパム・グリアーか!」ってピンと来た瞬間、吹き出した。さすがにあれはUSA版ではカットだろ?
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