[コメント] 下妻物語(2004/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
イチゴのはにかんだ笑顔は、中島哲也監督の苦悩の裏返しの笑顔なのだ。
中島哲也は著名なCFディレクターだが、CF界の表現者は二つの不自由を強いられる。彼らは商品を売るために、広告主から依頼されて映像を作る。だから、どんなに斬新なアイディアであろうが、心豊かな表現であろうが、広告主がひとたびノーと言えば彼らの才能がカタチになることはない。
もう一つ、彼らは商品を選べない。依頼された商品が人々の暮らしを豊かにし、それを手にする消費者が幸せになれるのであれば良い。しかし、その商品の意義に疑問をもち、大量に売ることに後ろめたさを感じたとしても、彼らは職業としてその商品を売ることに才能を費やさなければならない。
広告業界で、良心を持って仕事をする者なら誰でも経験するその息苦しさと後ろめたさを、中島もきっと感じていたに違いない。この映画の底流には、そんな中島の懺悔とも爆発ともとれる消費社会への密かな反発が仕込まれている。「モノ」ではなく「心」の復権を目指す反発力こそが、イチゴと桃子が生み出す爽快感の源なのだ。
桃子(深田恭子)は自分の複雑で出鱈目な生い立ちを見捨てるように、生きる世界を頑ななまでに狭めロリータブランドとロココの中に閉じこもった。それは、日々CFディレクター中島が量産している甘い消費の世界へ救いを求め逃げ込み、そして心を奪われ捕らわれの身となった人間の象徴なのだ。
一方、イチゴ(土屋アンナ)も理不尽な軋轢生活の中で危うく行き場を無くしかけるが、かろうじてアキミ(小池栄子)との接点のみを頼りに、どうにか人と人とのつながりの世界に止まっている。それは、やりたくないことと、本当に好きなことの狭間で揺れ動く中島監督の姿とダブル。
中島は、ブランド(ベルサーチ)の危うさを鼻で笑い、地方にまで浸透した画一的消費(ジャスコ)をからかい、見かけだけの美(ビューティーコンテスト)をコケにしながら、自分が作り出した「モノ」至上主義の虜となった桃子の救出を「人とのつながり」を頼りにイチゴに託すのだ。
そして、仕事(物欲を満たすための商品作り)を最優先してきたために、友達など一人もいないというデザイナーズブランドの社長磯部(岡田義徳)もまた中島の化身なのかもしれない。だからこそ、クライマックスの電話で仕事より優先すべきものがあると言い切った社長の言葉は、中島の反省の弁であり心情を語りきっているのではないだろうか。
60年代から70年代の初頭、杉山登志(とし)というCFディレクターがいた。内外の広告賞を総なめにし異才を放ちながらも杉山は、73年に38歳で自ら命を絶った。その先輩クリエーターが残した遺書への回答を、中島哲也監督はこの映画に託そうとしているように思えてならない。最後に杉山の遺書を、敬意を込めてこの場に掲げておくことにする。
リッチでないのに
リッチな世界などわかりません
ハッピーでないのに
ハッピーな世界などえがけません
「夢」がないのに
「夢」をうることなどは・・・・とても
嘘をついてもばれるものです
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