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[コメント] エレファント(2003/米)

彼らの肩越しに、向こう側を覗いたところで何かが見えるわけではない。彼らが見ているのと同じ日常があるだけだ。ただ確実なのは、その日常が限りなく不確実だということだけだ。次の瞬間、何かが起きても起きなくても、それが生きているということなのだ。
ぽんしゅう

地下鉄サリン事件の複数の被害者へのインタービューを通して、不意打ちの暴力に襲われた人びとの日常と「95年3月20日の朝」を描いた村上春樹の秀作「アンダーグラウンド」を思い出していた。それは小説家村上春樹がフィクションという手段を用いずに、取材相手の人柄と生活ぶりを克明に再現することに自分の文章テクニックの全てを費やすという方法で、非日常は日常の延長線上に突然現れるという不安を描き出すことに成功した作品であった。絵画でいえばデッサンともいえる、その記述することの原点に立ち返る方法論に大いに共感したものだった。

ガス・ヴァン・サントも、酷似したテーマを描くにあたって同じように映画表現の基本ともいえる「時間のコントロール」と「カメラの視線化」という原点的特性に着目してそれを駆使する。

事件が起きるまでをの時間を複数の人物の行動をトレースし何度も繰り返すことで、映画内時間は重層化され映画はフィールドとしての日常を獲得する。そして、その日常を行き来する人物を捉えるカメラは、背後から被写体を執拗に追い、ときに呆然と立ち止まり、そして待ちきれぬように被写体を追い越す。このはっきりとカメラを意識させる「カメラの視線化」により観客は、映画の中のフィールドとしての日常に立ち入ることを禁じられ、そこで繰り広げられる「分からないこと」を客観的に見ることを強いられるのである。

この作品が、現実に起きた事件を題材にしながら、そして一見ノンフィクション風を装いつつ、しかも「分からないことは、分からない」という結論を示しながら充分な説得力を持っているのは、日常の不確実性を客観的に見せきるための細心の注意と計算が成された、限りなく現実に近いドラマの構造を獲得しているからである。

(評価:★5)

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