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[コメント] イノセンス(2004/日)

人の形をした「物」に命を宿そうと。そして「人」は解体され、限りなく物へと近づく。そして「彼有るが故に彼思う」(長いです)
uyo

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







an・i・mate /nmt/ 1 生命を吹き込む.生かす, 生命を与える; 2 活気づける,活発にする; 励ます. 3 〈物語を〉動画にする,アニメ化する.

人の形をした「絵」に、命(「ゴースト」と言ってもいいかもしれない)を与えようとする挑戦。

今まで、宮崎アニメでは、ストーリーとは無関係にアニメートのみで泣けた事があった。「千尋」の竜の動きとか、「ON YOUR MARK」の脱出シーンとか。「モーション」が「エモーション」をかきたてる瞬間だ。今回クライマックス直前の、独り侵入を試みるバトーの動き、ハックしているトグサに「無茶するんじゃねえ!!」と叫ぶ前後のあたりでは、「ケルベロス」の、少女の彷徨のシーンのように泣けてしまった。押井作品では初めての事だ。もちろん「御先祖様〜」のラストの犬丸の疾走も泣けるが、あれは古川氏の演技と、シチュエーションによるもので、純粋な「動き」によるものではない。いままで(実写以外の)押井作品の泣きはシチュエーションにあったのだが。「人狼」や、「アヴァロン」や、数多くのこの世の実写作品からの影響を受けて、押井監督はまた新しいアニメーションの演出表現を形にした。

・・・最初は人物画のデッサンが崩れているのかと思ったけど、そうではなかった。「絵」と言う、単なる物にすぎないもの、その「人の形」に命を吹き込もうとする大きな試み。自然に近づけようとすればするほど地味になってゆく全てのアニメートが、どれも本当にドキドキする。決して押し付けがましくなく、まるで、現実の俳優のように初めからそこに「あった」かのように、ただひたすらひそやかに存在しようとしている「描かれた」肉体たち。車に乗り込む、車から降りる。ゆらんゆらんとした歩きかた。ダイビングの水中で、必死に棒にすがろうとする動きは華やかだった。少女を救い出し、肩に背負う、その動きの自然さ。いや、たとえ動きが止まっていても、机の上に腰掛けた腿のズボンの張りとか。新鮮なラインだと感じる。

「生死去来棚頭傀儡一線断時落落磊磊」の文字を壁に見つけた時のトグサの表情がとても好きだ。彼はこの作品の中で、もっとも表情豊かに演技してくれている。ハラウェイとの会話で、嫌悪感をあらわにして、「人形は子供じゃない!」・・・じゃなかった、(笑)「子供は人形じゃない!」と強く反論する姿。さらに、目を描く事が出来ないバトーの演技は、全身で表現しなければいけない。凄まじく難しい事だと思う。。「私は人形なんかになりたくなかったんだもの!」と言われたあとのバトーの「演技」は秀逸だ。オーラスカットも彼の複雑な心情が、伝わってきて、「くすっ」と言う気持ちにさせる。やっぱり生身の部分が多い人間は、神経太いよなあ(苦笑)人形の形をした「自分」に、あんな恐ろしいコトを延々と語られたあとに、愛娘に人形買って帰れるか?なんとも「おあとがよろしいようで」と言った風情のオチのつけかただ。

「こんな感じかなあ?」とちょっとぎこちない感じの相棒物ぶり(肝心のクライマックスでは、結局またいつものように男女で大活躍(笑))も、「いっぱい綿密に銃を出したかっただけなんですう」と言った感じでいきなり画調が変わる、B級Vシネマヤクザ襲撃シーンも(西尾作監力作と思われる成田三樹夫込みで)ご愛敬。「攻殻」の時から大好きだったイシカワも、今回さらに大っ活躍だし(結婚したい攻殻キャラNO.1)。「ドライにしろ」のシーンはホントかっこいいですね。「柿も青いうちは烏も突つき申さぬ候」の刑事さんや、ちょっと江戸っ子な鑑識のおじさん、平田さんが声を当てていたヘタレた新人隊員さんなどなど、味のあるかっこいい男のオンパレードで、いつも以上に眼福でした。

引用が多めだったのも、ゴダール爺や、大江健三郎村上春樹に比べたらお手やわらかでありがたかったです。

不満だったのは、素子様の「(ためいき)・・・変わらないわね。」と言うセリフ。個人的には、素子様は、どんなにバトーに尽くされても「アナタ気が付いてないの?それとも気が付いてないフリをしているの?」と見る側にもだえさせるお姫様ぶりが萌えだったので、お言葉を意識的にかけてしまうのではちょっといまいちです。しかーし、バトーったら、愛車のロック解除の暗証番号が「2501」だなんてセンチメンタル爆発デスね!!

ああ、それにしても「あなたがネットに繋がっている時私はあなたのそばにいる」って殺し文句だよなあ。きゅ〜。

しかし、キムとの会話を聞いているうちに、人間の身体も、分解されて、冷蔵庫に入れられてしまえば、単なる「モノ」に過ぎなくなるのだと言う事に実感が湧いてきて、あらためてちょっとぞっとした。その「モノ」と、「ニンゲン」との境は何か。卵子が受精し、分裂し、しかしいつしか機械へと変化して、一体の人形となって行くOP。その瞳から覗く顔。あれが「ゴースト」なのかしら。

「幸せか?」と聞かれて「葛藤はないわ」と答える素子。「肉体」が「葛藤」や「幸せ」を生み出すものなのだろうか?

↓以下、出来れば15歳以下の方はご遠慮下さい。

クライマックス、撃たれて崩壊して行く人形たちの顔立ちを見て、「美しい・・・」と感じてしまった。とても魅力的に感じた。実は一年以上前、立体写真を検索していて、たまたま「等身大人形」のページに紛れ込んでしまった事があった。全然無縁な私でも目にすることが出来てしまうのが、ネットの奥深い所だけれど、意外にとってもきれいな造りだったので、とっても驚いて、「はあ、こんな人形が、部屋の中に座っていて、その部屋に帰って行くのもいいかもなあ」なんてちょっと思ってしまった!・・・こわかった。それまで友人のドルフィー人形にも、全然魅力を感じなかったのに。結局、最近の私は、「COOL GIRL」にちょっとだけはまっています。

追記:

ヤクザを物のように殺戮するのも、「人形の気持ち」を考えるのも、同じ地平線上にあるのではないか。バブル真っ盛りのあの時代、「パトレイバー1」で、喪われ行く都市(それは単なるみすぼらしくふるぼけた建築物の残骸であった)を惜しむ気持ちが、破壊行動へと走った、かの犯罪者の気持ちに共感する事が、それほど難しくはなかったように。

そういえば、「可能な限り避けた」のは、かつてはロボットへの殺戮、おっともとい破壊行動であった。

「我思う故に我有る」のならば、「彼(他者)」あるいは「それ」すらもまた、どれも皆「ある」と言う事は「思う」のではないか、と「想像」して見る事。80年代、宮崎駿は、「人間よりも自然」と言うテーマを打ち出した。今また、押井守に、空恐ろしいほどの、他者(この世の存在全て)に対する愛情の垂れ流しを要求されている気がする。(その姿はまるで、端から見ていると極めて孤独であるかのようにも見える。けれどもその実体は真逆である。)そこまでしないと、「個」や「世界」の存在自体が危うくなってきているのか?そんなに事態は切迫しているのだろうか?

結論:あああ、またテロリズムだよ・・・・。危険・・・(苦笑)。

案外、大人たちがウロウロと彷徨している間に、トグサの娘はいとも簡単にその境界を飛び越えて行くのかもしれない。何かの代償という形ではなく、犬や人形を愛し、愛する「パパ」の形をとったマスコットを、心を込めて作っている。

「人間は人形ではない」と言いながら、我が娘が手当たり次第に人形の手足をもぎりはじめたら、心穏やかでいる母親はいないであろう。

(評価:★5)

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