[コメント] 最後の人(1924/独)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
偶然再見したのだが、技法のオンパレードだということに気付かされた。『市民ケーン』で発見した面白さに似ている。一回観ただけでは感じなかった何かを2回目の鑑賞でようやくみつける。噛めば噛むほど味わいが増す種類の映画なのかもしれない。そして重要な特徴として、とにかく演技が大袈裟。サイレントで、しかも無字幕映画を標榜しているためなのだろうが、かなり異質である(でもサイレントの人間ってそこがカワイくて好きなんだが)。
この映画を操り人形に例えるのなら、手足を動かす糸の中心となるのは制服である。制服に対するフェティシズム的な依存を非現実的なまでに誇張しているのが分る。制服が持つ魔力は、エミール・ヤニングスの過剰な演技において表現されている。序盤、ポーターの制服を着ている彼は胸を張りふんぞり返っているのだが、一転制服を剥奪されてしまうと、イライラするほどのよぼよぼした態度になってしまう。彼の思考/心理は一切、彼の立ち振る舞いを決定することはなく、それを決定するのは物体である制服なのだ。制服に振り回されているのはヤニングスだけではない。彼が暮らすアパートのオバチャンたちも皆、ヤニングスを制服でのみ評価しているのだ(彼女達のメチャメチャ大袈裟な演技には笑ってしまった)。
しかし、制服は必ずしも完璧な権力を有しているわけではない。制服の魔力は、それを評価する人間によって規定されているためだ。制服を着てポーターに成りすました偽者であるヤニングスは後半、オバチャンたちから嘲笑を受ける。そうすると制服の魔力は消失し、彼は弱弱しい動きに変わってしまう。私にも似た経験がある。結構気に入っていた服を酷評されたとき、その服の価値は自分の中で一気に下落した。アクセサリーでもブランドでも、それを身に着けたとき気分が単純にプラスにならなければ、極言するとそれらの価値はなくなる(少なくとも自分はモードに強い主義主張がある人間ではない)。そんな心理をヤニングスは過剰に演じて見せてくれた。
■エピローグは蛇足の蛇足。必要性がない上に、やたらと長い。10分以上あったのではないだろうか?ここで「いつ終わるのか」とイライラしてしまった。少なくとも自分の中では評価を下げる要因にしかならなかった。確かにエピローグがなかったら悲惨だったかもしれないが、主人公にそこまで同情もしなかったしなあ・・・。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (4 人) | [*] [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。