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[コメント] 最後の人(1924/独)

ホテルの回転扉の外は大粒の雨。客を乗せた車が止まる。ビルの夜景も豪雨に霞む。巨漢のベテランポーターがびしょ濡れになりながら巨大な荷物を易々と担ぎ屋内へ。濡れて黒光りするレインコートを脱ぐと格式高そうな制服姿に。エミール・ヤニングスのどや顔。
ぽんしゅう

冒頭の、この土砂降りの雨が素晴らしい。1980年代の中頃だったと思う。かつてはドイツでもフランスでも撮影スタジオごとに独自の「雨の振らせ方」があり、それはハリウッドや日本に受け継がれた。そんなヨーロッパのさまざまな映画技術者たちの仕事が作品の出来不出来とは別の質の高さを保証していた。しかし、その技術が途絶えてしまい、いまでは雨ひとつとってもまともに降らせることが出来なくなった。そう、映画批評家の蓮實重彦氏が嘆いていたのを思い出していた。

この一流ホテルの権威(制服)に、自らのアイデンティティを見出してしまった男に、観客(私たち)は何を思うだろうか。運の悪さや老いの残酷さだろうか。明日は我が身の共感や同情だろうか。権威にすがった小心者の末路の滑稽だろうか。この物語は、私たち(観客)の感情をいかようにでももてあそぶ。そんな映画が持つ「虚構」の力にF・W・ムルナウは危うさを感じていたのではないだろうか。

映画とは、有りそうで無さそうな「嘘」なんですよと、あえてムルナウは当時の観客(私たち)に警告するために、あの意味不明な「あり得そうにない」エピローグを“取って付けた”のではないだろうか。現実を怜悧に突きつけるのが映画なら、現実から飛翔し夢を見せるのも映画、ですよと。この3年後、ムルナウはドイツからアメリカに渡ったそうだ。

(評価:★4)

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