★5 | 西成の新世界・三角公園・ドヤ街・飛田遊廓界隈を舞台に当時の大阪下町の情景・空気と、時代の虚脱感を活写。これはもはやポルノではなく社会派映画。(【警告】未見者厳禁。観ていない方は絶対に review 読まないように!) [review] (Amandla!) | [投票(4)] |
★5 | ちょっとマシなゴム人形でしかない女が暮らすのは、虚飾を一切排した世界。裸なのは女だけではない。この街もまた裸なのだ。[中野武蔵野ホール] (Yasu) | [投票(4)] |
★5 | 芹明香は、この作品を観たその日から私の聖母となった。やり場のない不透明な怒りとくすんだ悲しみが、フィルムに焼き付けられた傑作。 (動物園のクマ) | [投票(3)] |
★5 | 日本映画史上に残る大傑作と言っても過言ではない [review] (TM(H19.1加入)) | [投票(2)] |
★5 | このタイトルにつられてポルノ映画館に入っちゃったオッチャン達はみんな萎えちゃったのではないか?(宮下順子のトコロを除いて)。むしろアントニオーニばりの抽象的タイトルが似つかわしい映画。
[review] (worianne) | [投票(2)] |
★5 | なんてリアルな失望感・無気力感!(当時の)アメリカン・ニュー・シネマなんて比じゃない!これはもうチャールズ・ブコウスキーの詩世界にも匹敵する。 (町田) | [投票(2)] |
★5 | 幻影でしかないが確かに存在するはずの父を、手配写真の殺人犯に重ねてトメ(芹明香)の欠落感が浮遊する。「ゴム人形」と「ニワトリ」の交わりは、人であることの確認行為でもあり放棄でもあるのだ。ニワトリとともに飛翔を挑むサネオの通天閣シーンは圧巻。 (ぽんしゅう) | [投票(2)] |
★5 | 母娘の確執という閉じた世界は、破綻して爆死する者たちと並置されて浪花ど根性的な生の讃歌へ反転する。舞台の釜ヶ崎・安藤のモノクローム・芹の虚無と台詞廻しの3者が密接不可分な領域で変容・獲得した俯瞰の視座。リアリズムと寓話の奇跡的融合。 (けにろん) | [投票(1)] |
★5 | 意外とコミカルな描写が多くて笑える。安藤庄平の冷やかな撮影と芹明香のバイタリティが見事。この映画で舞台になってる釜ヶ崎・新世界周辺は、今でも一人で行くのがちょっと躊躇われる地域です。 (赤い戦車) | [投票] |
★4 | SEXを記号としてしか感じられなくなってしまう生き方。彼女には弟すら「男」という記号にしか過ぎなくなる。それを丹念に(冷徹に)描いたからこそ、唯一母に対する感情の爆発が映える。そして・・・ [review] (sawa:38) | [投票(6)] |
★4 | とんでもなく重たいのかと思いきやけっこう笑える。行くとこまで行っちゃうと、人はもう笑うしかないしね。 [review] (tredair) | [投票(5)] |
★4 | 私が抱いていたポルノのイメージは、淫靡、ストーリーがない、セックス描写が中心、脈絡もなく始まる、など。ところが、 [review] (なつめ) | [投票(1)] |
★3 | ポルノとして観れば☆=2、一般映画として観れば☆=4 [review] (ボイス母) | [投票(9)] |
★3 | 展開が読めず、かなり難解に感じた。 [review] (ペペロンチーノ) | [投票(2)] |
★3 | 中学3年の時に鑑賞(汗)。田中登の作品は、どれもポルノ映画としての役割りを果たしていない。それどころか観客に冷水を浴びせ突き放す。これはポルノという衣を着た確信犯だ。そういう意味ではマイナス。しかし、そのマイナスを喜び感心する映画ファンは私を含め実に多い。 (tkcrows) | [投票(2)] |
★3 | 通天閣と、トルコ温泉ニュー世界の看板。ズームアウトすると、金網(フェンス)の後ろから撮っていたことがわかる。ちょっと右下へパンとティルトし、ズームインして二人の女。芹明香と絵沢萠子。 [review] (ゑぎ) | [投票] |
★3 | 彼女の脱力感を意志のなさと勘違いしてみるハメとなったが、不思議と作品に一貫したエモーションを感じた。今更そうでないと言われても組み替えようがない。 [review] (G31) | [投票] |
★3 | ただのエロ映画でないことはわかるが、この映画そんなに凄いかなあ。昨今の雰囲気だけで中身のない映画とは明らかに違うし、おかあちゃんやサネオの演技など確かに物凄いのだけれど。 (熱田海之) | [投票] |
★2 | ヒロインに全く魅力が感じられず、マネキンやこんにゃくといったアイテムにもついていけない。面白いのはラーメンをかぶるシーンだけ。 (檸檬) | [投票] |