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[コメント] ICHI(2008/日)

その“境目”は私にはまだ分からない。
Walden

若手の売れている俳優を配しながら、浮ついたところがなく、時代劇というジャンルを正面から扱っている姿勢には好感が持てる。あえてB級のネタやジョークをちりばめることによって、ストーリーの不十分さを紛らわすというありがちな手法はとられておらず、あくまでまっすぐに描いている点は、一時代劇ファンとして応援したい姿勢だ。

かの座頭市が女性だったらという発想も大胆で面白い。殺陣のシーンも迫力があり(もう少しスピード感があっても良かったと思うけど)、真当な時代劇という感じがした。

そういう敢えて応援したいタイプの映画だからこそ、いくつか苦言を呈したい。

主人公である市を演じる綾瀬はるかの演技にはそれなりの気迫が感じられた。しかし、役者の熱演とは違うところで、人斬りになってしまったものの業のようなものがそもそも描かれていない点が気になった。瞽女であろうとなかろうと、人を殺すことをためらわなくなった者の狂気がそこにはあるべきではなかったかと思う。瞽女としての人生を過ごしてきた辛さは描かれていたが、座頭市という人斬りが歩んでしまった戻れぬ道の深さが描かれていれば、市により深みが出たのではないかと思う。

また、市の向こうを張る万鬼というキャラクター造形にもやや不満が残る。中盤、万鬼の顔についてのエピソードが少しだけ語られるが、やや平凡に“説明”される程度で終わってしまう。 中村獅童も熱演していたと思うが、ストーリー自体の中での描き方が平凡なため「この人は狂ってしまったという理解で見てください」と言われているような気がしてしまう。深み無き悪役は、翻って主人公の魅力を減ずることになる。

刀が抜けぬ冬馬(大沢たかお )も、刀が抜けぬところからはい上がる過程がやや一足飛びのような印象を受けてしまった。市との交流の一体何が彼を変えたというのだろうか。

窪塚洋介演じる虎次は、彼が持つ軽さの中にある一本の芯のようなものが、うまく出ていたと思う。ただ、こちらも柄本明演じる親父との関係が今一つだ。

こうした各々の”背負っているもの”の描き方の不足が、積もり積もって、個々の決めぜりふの重みを減じることになっている。これがとても残念だった。

「おまえだけは赦すわけにはいかない」という台詞については、それほどのものかと思わずにはいられなかった。「境目」については、本当にその程度で見えるのかと思ってしまう。大事なシーンの一筋の涙に、雰囲気に乗り遅れてしまった感覚を味わってしまう。共に、うまくすれば極めて印象的なシーンになりうるのに。

私がひねくれているだけかもしれないが、これは昨今の邦画に共通して見られる欠点だと思う。

つまり、大事な台詞を語らせるまでの”ため”が不十分なのだ。大事な台詞は、ストーリーやそれまでの台詞のためがあってこそ観る者の胸に響いてくる。

音楽をかき鳴らして「さあ感動しろ」と言わんばかりに作り込むタイプの映画に比べれば、本作の音楽はちゃんと自分の役目を分かっている感じで独特の雰囲気を出しており、それだけをとっても他の邦画に比べれば圧倒的にマシだが、それでも、「ため」が不十分なのはどうしても気になる。

良い作品かと言われれば良い作品だし、週末に見に行くには十分お勧めできる。でも、何年か後にこの映画を振り返ってみて、あとで往年の時代劇と並び称するほどの作品かと問われれば、否と応えることになる。

終わり方からすると、次回作も作れそうな終わりなので、もし次回作ができるとすれば、ストーリーの中で描かれる人物の深みに期待したい。

2008年10月25日(土):TOHO CINEMAS 川崎

(評価:★3)

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