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[コメント] グエムル 漢江の怪物(2006/韓国)

どれほど無茶な行動であれ目的成就に資すると直感したならば、彼/彼女は一片の逡巡もなしにそれに及ぶ。ソン・ガンホパク・ヘイルペ・ドゥナはもとより、父ピョン・ヒボンポン・ジュノ的「受難の少女」たるコ・アソンまでもが徹底して「英雄」である。英雄的行動、その反射性・瞬間性に感動する。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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そういう次第で、『パラサイト 半地下の家族』までのポン・ジュノでは当然最高傑作である。

空間/アクション/怪物演出としては怪物の初上陸カットおよびシーンが最も優れていた、とする見解に異を唱える声はそう多くないだろう。カメラポジション、カメラワーク、フレームイン/アウトを含む被写体の動線設計、遠近取り混ぜたカット繋ぎといった点など諸々鑑みて、やはりポン・ジュノのアクションは開けた(もしくは容積の大きい)空間でこそ本領を発揮する(『スノーピアサー』のように狭小な空間における格闘をもっぱら近接位置から撮った諸カットは精彩を欠く)。翻って、全篇を通じてこれに匹敵するシーンがついぞ訪れなかったとする説にも併せて頷いてみせるが、演出の志が最後まで高く保たれていたことは云い添えておくべきだろう。たとえばポン・ジュノのトレードマークたる夜と雨の佳シーンを抜け目なく配置する一方で、怪物との最終直接対決は敢然と白昼のもとで(ただし『ほえる犬は噛まない』『パラサイト 半地下の家族』的な消毒剤の霧の背景を伴って)繰り広げさせたあたりがそれを物語っている。面白さよりもディジタル描画の粗隠しを優先する演出家であれば怪物を闇に紛れさせるところだ。また、ここでパク・ヘイル→(路上生活者ヨン・ジェムン→)ペ・ドゥナ→ソン・ガンホの(とても彼らが企図したとは思えない、きわめて偶然的な、しかしいっさい迷いのない)連携で怪物を仕留めるカットの展開は、全篇で最も大きな快感をもたらすに違いない。

もちろん、ポン・ジュノらしいあざとさに辟易寸前まで至ったシーンもないではない。たとえば中盤、売店兼居宅における「幻の家族再会」はその最たる箇所だろう。まったく現実的に始まったこのシーンが一家五人の誰の睡夢あるいは妄想なのか判然しない点、また頑なに無言が貫かれる点がしみじみと涙を誘うのだが、むしろこれこそあざとさの極みだとする視座も当然ありうる。それでもここに限っては感動が辟易を上回ると云いたい。それというのは、この侘しい食卓におけるコ・アソンに対する一家の所作、すなわち男衆はまるで「ほれ食え」「しっかり食え」と雛に給餌する親鳥のごとくコ・アソンに食事を促し、ペ・ドゥナは慈しみ深く彼女の髪と頬を撫ぜるという、これら何気ない「溺愛」の所作の純度がためだ。

上記すべてを総合して改めて記し直す。『グエムル 漢江の怪物』をポン・ジュノの最高傑作と断言して憚らないのは、これが彼の作品歴で最も濁りのない「アクションの純粋」に到達した作だからである。

 以下、余談めいた覚書。『パラサイト 半地下の家族』を経た私たちが『グエムル 漢江の怪物』を見返したとき、その英題「The Host」はにわかに意味深長な響きを帯び始める。まずポン・ジュノがかねてより「宿主-寄生者」のテーマを持っていたことの何よりの証左とはなろうが、『グエムル 漢江の怪物』と『パラサイト 半地下の家族』における宿主/寄生者が一対一の対応を果たしそうにもないなど、様相はそう単純ではない。そもそも『グエムル 漢江の怪物』劇中にて未知のウイルスは存在しなかったことが明かされるのだから、英題に反して、実のところ怪物はウイルスの宿主ではありえない(もっとも、天邪鬼な見方をするならば、この怪物騒動で未知のウイルスなど一個も発見されなかったという米軍医の白状を留保もなしに信じなければならない理由もまたない)。また、Hostは単に怪物に留まらず複数の対象を指していると見做すほうが妥当かもしれないが、ポン・ジュノがしきりに誘っている韓米関係を織り込んだ読み方を試みたとしても、韓米のいずれが宿主であり寄生者であるか必ずしも一義的ではなさそうだ。

 さて、アメリカ合衆国が話題にのぼったついでに云っておけば、やはりこの映画もかの国に負うところが決して小さくないらしい。というのも私が知る限り、固有名はおろか種名すら持たない/定められない怪物は、日本の怪獣映画の伝統などから隔たったところにあるアメリカ映画のマナーに則ったものだからだ。人為的に発生させられ、寄る辺もなくこの世界にただ在ることを強いられ、いかなる悪意も謀も持たぬにもかかわらず駆逐されるべき害的存在として一方的に人間から規定される。このような「無名性」「孤児性」「迫害性」において、『グエムル 漢江の怪物』の怪物はとりわけジェームズ・ホエールフランケンシュタイン』のボリス・カーロフの血をいっとう濃く継いでいる。

(評価:★5)

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