[コメント] トイ・ストーリー(1995/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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ガススタンドに置き去りにされたとき、シドの部屋に閉じ込められたとき、そこでウッディが覚える絶望とはどこまでも自身とアンディ(の部屋)との間に横たわる距離に対するものである。自分の力ではどうすることもできない絶望的距離。したがってその絶望は距離的絶望と呼べるものだろうし、またその絶望の大きさは物理的距離ではなく質的距離に比例するものであって(シドの部屋とアンディの部屋の窓は直線距離にして十メートルも離れていないだろう)、そこにこの映画が持ちえた表現の豊かさがあらわれてもいるのだが、さらにはこの映画における「活劇」とはその距離を埋めるための運動の総体であると定義することもできる。アンディの家に帰ること。アンディに追いつくこと。ここでの活劇とはそれ以上でも以下でもない。そのモティヴェイションとなっているのは云うまでもなく、キャラクタの本質をかたちづくっているところの「アンディに見捨てられたくない。彼のお気に入りでありたい」という催涙的に健気な感情だ。だから、終盤に繰り広げられるチェイスとは空間的距離とともにアンディとの心理的距離を縮めるための運動でもある。疾走と不慮の停止によりときに縮まりときに広がるその距離は「飛行」によって一挙に無化されるだろう。二重のゼロ距離のハッピー・エンディング。
さて、二六時中クリント・イーストウッドが頭の片隅にある私としては、ラジコン・カーと本物の自動車のチェイス・シーンに『ダーティハリー5』を思い起こし、続いて引越しトラックが火花を散らせる演出に「おお、『ルーキー』やんけ」と興奮を覚えたこともやや恥ずかしげに書き添えておこう。このシーンが夜であったならば私は喜びの雄叫びまでも上げていたに違いない。
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