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[コメント] 猿の惑星 創世記(ジェネシス)(2011/米)

実に明快な映画である。清々しい。それは脚本の執筆からCGIの操作に至るまで、映画が「アクションの思想」とでも呼ぶべきものによって貫かれているためだ。各カットの強度では劣るものの莫大なアイデアの投入量が挽回し、橋梁アクションの総合得点ではあの歴史的傑作『M:i:III』にさえ肩を並べる。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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どうして地球が類人猿の支配する惑星と化してしまったのか。云うまでもなく、それはひとつにアルツハイマー病の治療薬を投与されたチンパン(の息子)の認知機能が飛躍的に増大したからである。また全世界規模で人口が激減したのは、核戦争によって自滅したからでもなければ類人猿が振るう暴力によって撲滅されたからでもなく、その薬物の副作用(と云ってよいのか何なのか、ウイルス?)のためであることがほのめかされてもいる。したがって、元凶はジェームズ・フランコであると云い切っても差し当たって誤りではない。

しかしながら、そんなことで類人猿に対する人類の優位が覆されてしまうものなのか。確かに『猿の惑星:創世記』はそういうお話のようだ。だがそれは「映画」とは異なる言語で紡がれた物語でしかない。そのことを正確に理解していた演出家と脚本家コンビは、ゆえに次の論理に則って映画を構築する。すなわち「人類と類人猿の逆転は、あくまでも類人猿が人類よりも身体性において優れていたために引き起こされる。類人猿の知能向上は副次的な要件でしかない」という。これが私の云う「アクションの思想」であり、それを象徴するのが冒頭に挙げた橋梁アクションシーンである。

チンパンやウータンやゴリが「脱獄」し、人類が築き上げた都市を徘徊する。引き抜いた動物園の柵を槍として投擲する。これらのアクション風景の背徳的な美しさはどうしたことだろう。それが頂点に達するのもまたくだんの橋梁においてである。ここではもうくだくだと細部を列挙するのは控え、これだけを云うに留めよう。ヘリコを撃墜する満身創痍のゴリの跳躍、そのあまりにも純粋なアクションを目にしながら一粒の涙もこぼさないでいることは、アクション映画ファンとしての私にできることではない。

(評価:★4)

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