disjunctiveさんのコメント: 更新順
ダイナマイトどんどん(1978/日) | 戦略兵器たる北大路欣也の自罰感情にすべてが左右される清算的な状況こそ、この社会時評が糾弾する態度そのものではなかったか、という悪しき再帰性の局面が、田中邦衛の軟体動物のような投球フォームに官能的な撓りを与える。 | [投票(4)] | |
ソルジャー・ブルー(1970/米) | 貸し借りの営みの中で男女それぞれの甲斐性が自然に醸成され、騎馬隊の挙動にはリアリズムで事象を裏付けたい欲求が窺える。 [review] | [投票] | |
マシニスト(2004/スペイン) | 自罰感情を仮託された不眠という生理上の不快が逆流して、事を探求する意欲を妨げている。不眠だから不可解に遭遇するのは当たり前で、なぜ今さらおかしがる必要があるのかわからないまま、クリスチャン・ベールはハーレム作りに勤しむ。 [review] | [投票(1)] | |
真夜中の虹(1988/フィンランド) | 悲観しない人間の有り様の探求が彼らに課すのは、合理性に則った、ただ一つの解答であり、ベルトコンベアに運ばれるようなイベントの逐次的発現が叙述するのは、宿命に準拠することの、不安なまでな晴れ晴れしさである。 | [投票] | |
ハムレット・ゴーズ・ビジネス(1987/フィンランド) | ピルッカ=ペッカ・ペテリウスの胎児状の容貌がオウティネンの母性と反響するのはよいとしても、強運の限度に挑戦する属性の浪費が子宮に内包されるような手ごたえのなさとなってしまい、水子供養のような遣り切れなさが残る。 [review] | [投票(1)] | |
男はつらいよ 寅次郎紅の花(1995/日) | カットを細かく割っていられない現場の焦燥が期せずしてホラー映画の画面を構成する。冒頭の美作滝尾の駅舎の窓口に顔を出す寅。奄美で満男と遭遇するそれ。どちらもワンカットで彼は現れギョッとさせる。もはや亡霊であり、それが廃墟を彷徨うのである。 [review] | [投票(3)] | |
夜よ、こんにちは(2003/伊) | 夏休みの合宿が終わらないような、延滞した非日常が醸すフワフワがある。一方で老人のダンディズムに感化を見出したい自惚れた空想と、それを罰したい自己規制がある。 [review] | [投票(1)] | |
ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男(2017/英) | 史実の教科書的理解に基づけばダンケルクの成功で宥和派が失脚したことになるのだろうが、この話は虚構の地下鉄場面をでっち上げて、あたかもダンケルクの帰結が不明なうちに決断が行われたかのような印象操作をする。 [review] | [投票(3)] | |
トラック野郎・望郷一番星(1976/日) | 山田洋次の残虐なマドンナたちと違って、この島田陽子は他人の幸福に殉じる人間の悲壮な有り様を認知して、受け手にそれを知らしめるのである。では、どうすれば彼は救われるのか。 [review] | [投票(1)] | |
カジュアリティーズ(1989/米) | 今回はモリコーネの浪花節に増感された、ただでさえ大仰なデ・パルマ節で、状況がショーン・ペンとマイケルの痴情のもつれとしか解せない。マイケルには鬼畜度を緩和させてしまうショーンもアレだが、マイケルの勇敢さもその好意への甘えに見える。 | [投票(3)] | |
サイドウェイ(2004/米=ハンガリー) | 男の甲斐性が問題とされると、それほど未練を抱けるような異性とそもそもどうして一緒になれたのか不可解を禁じえない。ジアマッティに熱視線を浴びせるマドセンがわからない。 [review] | [投票] | |
駅 STATION(1981/日) | 大晦日に場末の飲み屋で高倉健と倍賞千恵子が黄昏る苦悶を味わいたく、20年ぶりに再見したのだった。しかし黄昏るには不穏すぎる。東宝製70年代刑事ドラマに民子物をぶち込んだ暴力的な構成で、とらやにミサイルが直撃したかのような触感なのだ。 [review] | [投票(4)] | |
男はつらいよ 寅次郎かもめ歌(1980/日) | 博のマイホームに絡んで人々の甲斐性が発現する様が具体的で色彩に富んでいるからこそ、気づけば夜学に浸透している寅の過程のなさがぶきみなのだが、何もない男の穿つ虚空に伊藤蘭の瓜実顔が蒸着して実体を与えることで、その淫靡が匂い立ってくるのだ。 [review] | [投票(2)] | |
ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書(2018/米) | 拘束具の抑圧に呻きと鼾を漏らす怪熟女の湿性の官能を余所に、何も考えてない男たちは事務机の間隙を疾駆して、乾いたサバンナの原始記憶を蘇らせる。 | [投票(2)] | |
野獣死すべし(1959/日) | 仲代はこの時期の彼らしく何処を見てもおかしい。それを周囲が好青年だと扱うので、ますます同輩の無感覚の限度を試すような挑発的な作り込となってしまう。 [review] | [投票] | |
ヴェラ・ドレイク(2004/英=仏=ニュージーランド) | 面の皮の厚さが善を容赦なく施す様を喜劇の間を用いて叙述している。事件発覚の間の悪いタイミングにしてもそうである。この着想は後半のリーガルサスペンスをどう受容すればよいか受け手に混乱をもたらしかねない。 [review] | [投票(1)] | |
犬ヶ島(2018/米) | 動物の人権問題を突き詰めると愛玩化の否定になりかねないところを、そこはあえて逆行して、自らの本分を発見して受容するという価値剥奪の精神状態にむしろ高揚を求めようとする。 [review] | [投票] | |
刺青一代(1965/日) | 自爆の巻添えを食らって花ノ本寿に憤りを覚えようにも、あまりにも躊躇のない自爆が人格喪失を予感させて、責任能力を負わせようがない。その特異な熟女趣味も相まって、自爆の手際の良さと迫力をただ観察する有様となり、重荷からの解放感は得られない。 | [投票(1)] | |
ナイトクローラー(2014/米) | ウィル・スミスのやりたがるような自己啓発映画への揶揄が、強盗殺人現場撮影の件で時間切れスリラーの型によってサイコパスへの反感が克服されてしまうあたりから本気印になってくる。 [review] | [投票] | |
甘い人生(2005/韓国) | 女の愛想笑いを誤解した童貞の暴走が組織の潰滅を試みるまでになった段階で、この話の客観性は事態をコントとして叙述せずにはいられなくなる。かかる含羞はだからこそ、女の魔性に取り込まれた男の痴態の補足に成功して笑いと催涙をもたらす。 | [投票] |