[コメント] 菊豆〈チュイトウ〉(1990/日=中国)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
元来、寓話というものはその筋立てが奇矯なものだがこの映画においても梗概を記すなら随分と奇矯かつ荒唐無稽なものになるだろう。笑わない子供・天白が染め池に落ちた下半身不随の父の溺れる様を見て初めて笑うシーン等はその最たるものだ。このような物語のエキセントリックさだけでも観客の心を揺さぶることができる。(中には嫌悪感を催す人もいるだろう。)しかし、映画は筋立てだけによって支えられてはならない。映画である以上私の心を揺さぶるのはあくまでも「画面」だ。(よく勘違いされるのだが、私が「画面」という言葉を使う時は単に「撮影」を意識しているのではありません。)
この映画が傑出しているのは何と云っても逆光・斜光を多用した類い希なる光の処理なのだが、撮影・照明にとどまらず染物屋全体の美術装置の使い方や人物の感情描写、出入りのコントロールも含めて傑出した画面の造型に収斂している。それは例えば菊豆と天青が初めて結ばれるシーンで水車のたががはずれ、回る車輪と干し竿から染め池へたれ落ちる反物によってセックスのメタファーが力強く描かれる描写だとか、穴蔵という閉じられた空間で演出される菊豆と天青の息も詰まりそうなのっぴきならない関係性の表現だとか。これらのシーンでは画面に映し出されているもの全てが映画の寓話性の醸成に見事に結実しているのだ。
ここで注意深く一つの事実を提示しよう。全ての映画は(それはドキュメンタリーやノンフィクションというジャンルにおいても)「寓話」なのである。
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