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[コメント] 復活の日(1980/日)

ハリウッド映画ごときじゃ千年立ったってあんなになるホワイトハウスを描けやしねえ。『復活の日』を忘れるな。
kiona

良い映画だったか?面白い映画だったか?重要な映画だったか?そう問われれば、正直言って、うんとは頷きにくい。しかし、凄い映画だったかと問われれば、二つ返事で頷ける。

これは紛れもなく、『ゴジラ』『世界大戦争』『日本沈没』の系譜の先に特撮の国だからこそ産み出せた代物であり、だからこそカタストロフが真正面から綴られる。『猿の惑星』といった一部の例外を除き、欧米ではここまで真摯に絶望とは向き合えない。だから、盛り上がらないと言うか、ひたすらしんどい。それはそうだ、しんどいものなのだ、カタストロフというのは…。それをガチで描こうとするんだから、言わずもがなである。しかし、そういう映画だからこそ、あの渡瀬恒彦と少年の無線機でのやり取りいや一方通行といった描写や、あんな風になるホワイトハウスが信じられる映像になりうる。そして、深作欣二であり、木村大作だからこそ、こういう映画を投げずに撮りきれるんだと、自分は思う。何より、角川映画だったからこそ、これを劇場に持ち込めた、その体力と金力があった。それは疑いようがない。

今や、こういう風にどでかいスケールで、バカみたいに真剣に世界を、国を、社会を、人間を、その破局を問おうとする邦画がどれだけあるだろう。凄い映画である。凄くないと言えんのか!

だが、同時に、角川映画だったからこそ、この映画は傑作足り得なかった。角川超大作に傑作は無い。何故なら、全て企画の段階から間違っていたからだ。数百〜数千ページに及ぶ本の尺だからこそ語り切れた物語を、150〜200ページの脚本に無理矢理押し込める。これは物理的に無理がある。よっぽど、何かアクロバティックな発想の転換をして、脚本に昇華しない限り、長編の脚色は成功しない。だが、そういう工夫はほぼなかった。何故なら、原作を蔑ろにするわけにはいかなかったからだ。

或いは、深作監督は、残念ながらこのジャンルには向いていなかった。演出のテンションは一流でも、この手のジャンルに娯楽映画としてのパッケージングを施す能力を欠いていた。人間を描くのはいい。だが、偏向した人間描写は娯楽のテンポを殺してしまう。普段芸術映画撮っている作家が突然アクション映画を撮ると素人丸出しのことをし始めるのと同様、この手のジャンルにもその道のプロだけが知る人間描写のセオリーがある。この映画は、パニック等のスペクタクルと人間のごたごたが非常にアンバランスだ。草刈正雄の取っ組み合いなんかまったくいらん。

上記両者の悪い面が相俟ったのが、ウイルスの上に核爆発までやってしまうという展開である。これは映画の尺では観客を取り残す。ゴジラの上にオルガまで出現しては、もうその世界を信じられなくなるのだ。

そして、最後に、日本の特撮の系譜上にあったからこそ煮えきらない部分があったことも否めない。この時代の日本の特撮は未だ往年の伝統から一皮向けることができず、ハリウッドのSFXから水を開けられつつあり、極めて中途半端な位置にあった。それは描くべき対象を定められなかったということを意味する。もちろん、この映画は特撮映画ではないんだけれども、もしもこの時代の特撮がウイルスの恐怖を描ききれるものであったならば、映画はもっと別の物になっていただろう。

(評価:★3)

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