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[コメント] ミツバチのささやき(1972/スペイン)

目を見ひらいて耳をすませば、きっと彼だって気付いてくれる。いつかきっと私のもとにも真実「映画」がやって来る。はず。
tredair

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







バウ30周年祭ということで、久しぶりに映画館に行った。映画館で、スクリーンで、大勢の見知らぬ人に囲まれてちゃんと映画を見た。最近すっかり映画から遠のいていたので少し不安だったのだけれど、映画はしかと自分のところにもやって来た。完全にとまでは言わないけれど、それでも確かにやって来て、だからとてもうれしかった。

てゆーかファーストシーンでもう泣きそうになった。この映画はいわずもがな名場面だらけなのだけれど、個人的に最も好きな場面はアナもイサベルも出ていない、村の子供たちがトラックに群がる最初の最初の場面なのだよ。とゆーことを再認識させられた気がした。

いや、初めて見たときはそうではなかった。汽車が向かってくるさまをじっと見ていたり井戸を覗いてアーオーと叫んだりパパにくっついてキノコについて学んだりパパの真似をしてひげ剃りに挑戦したり猫にひっかかれてできた傷の血を唇につけてみたり大きな足跡に自分の足を重ねてみたりカフェオレボウルを両手で抱えこんだりリンゴを差し出したり火の上を飛びこえたりベッドの上で飛んだりはねたり影絵遊びしたり蝋燭をあわてて吹き消したり死んだふりしたり死んだふりに驚いたり緊張しつつ靴ひもを結んだり思わぬ手品にほっと嬉しくなったり、とにかく忙しかった。

でも何度も何度も見るうちに冒頭のシーンから続く一連の「フランケンシュタイン」上映場面と学校での授業風景、そう、アナは彼に目を与えるのだよね、な場面の比重が自分の中でどんどん上がっていった。

いろいろなものを「見る」ということがどういうことなのか、私は未だよくわからないのだけれど、だからこそいろいろと「見たい」のだけれど、このふたつの場面を見ていると、それはきっととても尊い素敵なことに違いないという気がしてドキドキしてくる。たまらない気持ちになる。

目を閉じてそっと話しかければ「彼」はきっとやって来る。そう語りつつも、懐中時計のオルゴールだのミツバチの羽音だの母親のピアノの音だの汽笛だの銃声だのと印象的な音にあふれつつも、でもやっぱりこの映画は「見る」映画なのではないかな。とあらためて思った。思う。

父親が日々綴るミツバチの観察日誌と映画そのものの内容が重複していることは言わずもがな、とにかく「見る」とゆーか「観る」みたいな。

だから私はこれからもずっとこの映画を見続けたいと思う。映画は決して字幕を、話を、追う。ましてや読むものではなく、学んだり憂さ晴らししたりデトックス効果にすがるためのものでもなくて、やっぱりまずは「観るもの」なんだ。そしてそこから何かをそっと感じとるものなんだ。たとえそれが曖昧模糊としたものであっても、決してきっちり全てを理解することなどできなかったとしても、何か心に引っかかる情景があればそれでいい。その映像を、記憶を信望し続けられる限り、私はこの映画を繰り返し見続けたい。「観る」ということに魅力を感じ続けられる限り、見続けたい。そう思った。思う。思っているところ。です。

(評価:★5)

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