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[コメント] メカゴジラの逆襲(1975/日)

メカゴジラとチタノザウルスが“悲劇”を背負っていたのに対し、ゴジラが背負っていたものとは……
荒馬大介

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 社会に理解されない者が、地球を支配しようとする者達と手を組む。それを打ち砕いたのは「人を愛する」という心……という構図。本多猪四郎はこれを徹底的にシビアに描いた。本作前後はあまり観られなかった、群集が逃げ惑うモブシーンもかなり多用されている。それに合わせてのことなのか、二体の怪獣による都市破壊シーンの特撮も、威力をまじまじと見せつける描写が多い(フィンガーミサイル大爆発は前作以上に凄い)。伊福部昭の音楽もまたしかりである。

 だがこの中に、ゴジラはほとんど絡まない。最後にゴジラが勝てたのも、人を愛する云々と書いた部分のおかげなのだ。事実、それまでほとんどやられっぱなしだったのだから。さらに映画の中ではこんな描写もある。逃げ遅れた少年が「ゴジラ、助けてくれーっ!」と叫ぶと唐突に登場したりする。ストーリーとは全然関係無く、だ。本作のゴジラは、どこか浮いている。

 しかし浮くのも無理はない。何せ本作の題名は『メカゴジラの逆襲』なのだ。前回ゴジラに野望を打ち砕かれた者と、悲劇を背負った親子の逆襲がメインといってもいい。第一作目でゴジラが背負っていた「悲劇」を、メカゴジラが背負う結果となったのだ。それがタイトル共々映画の中にも、如実に現れたのが本作なのである。そうなったゴジラ映画を本多監督がメガホンを取ったというのも、何かのめぐり合わせなのだろうか。

 では本作のゴジラのポジションは何を背負っているのか?今メカゴジラと戦っているのは、悲劇を背負っていた第一作目のゴジラとは別の“二匹目のゴジラ”である(第一作目のゴジラは死んでいる)。初登場時からアンギラスと戦い、キングコング、モスラ、キングギドラという強敵と、「闘争本能」の赴くままに激闘を繰り広げてきたゴジラなのだ。その激闘の歴史の中でいつしか「怪獣王」の称号を得たゴジラは、怪獣ランドや怪獣島で安穏とすることなく、次々現われる敵と戦うこととなった。例えそれがどのような悲劇のヒールを持っている輩であろうと、ゴジラにとってそれは「敵」であることに変わりはない。その「敵」が、いつの間にやら人類にとっての「敵」と同じものになってしまい、子供達の声援に会わせて登場するということで、ゴジラは「正義」を背負うこととなったのである。

 これが彼にとって良いことなのか悪いことなのかは分からないが、人類に敵意を見せなくなったということは、もはやゴジラは人類を「敵」と見なしていないことになる。しかしそれがすなわち「人類の味方」という意味かというと、それは違う。ゴジラにとって人類とは、戦うに値しない相手になってしまったのだ。ゴジラが闘争本能を剥き出しにして牙を向けられる「敵」の中に、もう人類は含まれていなかったのである。あるいは、戦っても無駄だ、と思っていたのかもしれない。『ゴジラ対ヘドラ』のラストで、人類に怒りを見せつつも何もしないで去っていく彼の姿は、その意思表示ともいえるのではないか。

 その二代目ゴジラが、20年に渡って繰り広げてきた激闘の歴史の最後を飾ったのは、皮肉にも自らの生き写し。しかもその相手は初代ゴジラが背負っていた「悲劇」をも持っていた。最後に辿り付いた敵が自分という奇妙な巡り合わせ。無論そんなことなど二代目のゴジラが知る由も無いだろうが、どういう訳か本作の9年後に登場した三代目ゴジラもまた、ゴジラの生き写しと戦うという結末を迎える予定(平成シリーズは『ゴジラvsメカゴジラ』で一旦終了することになっていたが結局それから二年続いた)だったのだから不思議なものだ。

 どういう立場であろうが、登場したらただ暴れるだけでなく戦うことを宿命付けられる怪獣・ゴジラ。その戦いの末に辿り付く相手が「自分の生き写し」とは皮肉なものである。だとすると『ゴジラ2000ミレニアム』で復活した四代目ゴジラが、最後に戦う相手は誰になるのだろうか?

(評価:★3)

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