[コメント] 詩人の血(1930/仏) - 更新順 (1/1) -
例えばメリエスの『月世界旅行』に違和感を感じず本作に感じるとするなら、全ては技術との調和の問題なのだ。コクトーの描きたいものにシンパシーは感じないが映像表現者として意識レベルだけは時代の先を行きすぎていた。総体は瓦解し無惨である。 (けにろん) | [投票] | |
ある詩人の一瞬のイメージの経過。ある詩人とは勿論ジャン・コクトー本人だ。一瞬であることを崩れ落ちる塔で表現したところは今となっては幼さに感じてしまう。この映画はコクトーの後々の作品との強い関連性が見える。言い換えればこの処女作の時点で映画作家コクトーの特質が決定していたということだ。 (ゑぎ) | [投票] | |
映画のための実験と言うよりは、実験のための映画。 (リーダー) | [投票(1)] | |
コクトーが甦って今の映像技術を目にしたら、少年のように喜ぶでしょうね。 [review] (ルッコラ) | [投票(1)] | |
まだ映像を御しきれていないような気がする。 (24) | [投票] | |
たぶん直訳なのだろうけど、まずタイトルにしびれる。コクトーだからこそ嫌味にならないのだけど。ところで、これってスリラーだったの? (tredair) | [投票] |