[コメント] 恋人までの距離〈ディスタンス〉(1995/米)
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二人の会話がどんなに熱を帯びても、決して沈黙することのない背景の音。街は動き続け、時が足を止めることもない。「時の流れ」という目には見えないものを、確かに画面の中に定着させ、二人の傍らで絶えずその存在を示している。
そしてとりわけ印象深かったのは、深夜のカフェのシーン。それぞれのテーブルの人たちの会話を映し続け、最後にやっと二人のテーブルの会話に至る。この映画には二人だけの特別な時も、特別な世界も用意されていない。それぞれが思い思いに、同じ時間の流れの中で過ごしている、ただその中の一つに過ぎない。それを知りながらも、それでもこの時間を特別な、揺るぎない何かにしたいという思いが、会話の端々からにじみ出てきて切なくなる。
そのような描き方があればこその、クライマックスの別れのシーンの切なさ。その二人の姿は、まるで大きな抗いがたいものに流されまいと、藁をもつかむ思いで必死で何かにしがみつこうとしているかのようだ。恋愛映画でありながら、恋愛以上の何かさえも描いたシーン、と思う。しがみつこうとしている「何か」が、どれだけ小さな覚束ないものかを思うと、なおさら切ない。
何でジュリー・デルピーなんだろうと思いながら観つつも、次第に彼女以外には考えられなくなってくる。彼女のある種の影の薄い儚げな美しさが、この映画には何とも相応しい。街や自然などの背景の光が、彼女の透明な肌にその時々の色を与え、存在自体を何か移ろいやすいものにしている。そんな印象を受けた。
最後に邦題にモノ申す。分かったようで何も分からない、シチュエーションだけでつけた軽薄なセンスは一体・・・。距離が離れてて悲しいとか恋人になるまでには道のりは長いとか、そういう主旨の映画じゃないと思うんですけど。
(2005/12/4)
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