[コメント] イニシェリン島の精霊(2022/英)
映画を見終った人むけのレビューです。
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窓である。
石造りの窓が象徴的に使われていて、これは社会を映し出すもの、外の世界を見る、相手を見るという意味もあると読んだ。
オープニングで、パードリックコリン・ファレルがコルムブレンダン・グリーソンの家の窓を覗く。ガラスの反射で初めは中の様子をうかがえないが、パードリックが体をずらすとコルムが背を向けてタバコをふかしている様子が見える。パードリックがまた体をずらすと再び反射で家の中は暗くなってしまう。
このシーンが作品すべてを表しているように感じた。相手との距離、こちらの出方によって(心の)中を垣間見ることができるような。距離が近すぎても見えないし、ガラスの反射は自分自身をも映すのにそれを自覚しないことには見たいものも見えてこない。
そして孤独である。
外部と閉ざされた「島」と「石造りの家」という空間で「存在」するだけの暮らし。この閉塞感が人をかたくなにさせ固執化してしまうのではないか。
シボーンケリー・コンドンは外の世界へ出ていった。彼女は本を読み自分の居場所と生き方、つまり希望を手に入れようとしている。アイルランド内戦(1922年?)の頃の歴史的事情には詳しくないが、むしろ対岸の火事と並行して、人間の不条理と愚かさに気付くかどうかという暗示と受け止めた。
マーティン・マクドナー監督の描くねじ曲がった皮肉たっぷりの心の闇は説明できるものではなく、決してハッピーエンドではないが、この人の方向性は好ましいと感じる。
パードリックとコルムの対照的なキャラクターが、ドミニクバリー・コーガンというスパイスで味付けされ、寒々しい島と海岸線、余分なBGMを排した自然の音(動物の声、足音等)により味わい深い。
コリン・ファレルは役作りなのか、凡庸な顔の作りで、パードリックの困惑と孤独を上手く演じていたし、ブレンダン・グリーソンはもういてくれるだけでグー。
バリー・コーガンは『ベルファスト71』『聖なる鹿殺し』で注目していたが、今後独特の存在感で良い脇役として成長していくのだろう。
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