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[コメント] 僕達急行 A列車で行こう(2011/日)

森田芳光の『釣りバカ日誌』の主人公たちは、楽しげに仲間たちと仕事をこなし、二人して心置きなく独りの世界に没頭する。ゆるやかな連帯と、しなやかな孤立。この社会と人との、あまり頑張らない係わり方は、今後の日本が目指すべき理想の社会観かもしれない。
ぽんしゅう

森田芳光は、これからの10年の仕事としてこの喜劇のシリーズ化を考えていたのだそうだ。日本全国はもちろん海外ロケも可能な鉄道という素材。毎回、マドンナを設定するための小町(松山ケンイチ)と小玉(瑛太)のフリーランス性の確保。会社の上司や家族のキャラクターを単純で明解にしてサブレギュラー化を図る。なるほど、大いなるマンネリへ向けた戦略的要素がそろっている。

かつてシリーズものの喜劇映画は日本映画界の花形だった。喜劇は主演俳優の強烈な個性に依存する。今ではシリーズを背負って立つ役者など、どこにもみあたらない。だから、2009年に幕を閉じた『釣りバカ日誌』が最後の喜劇シリーズだと思っていた。

お気楽な楽天家だが「釣りバカ日誌」の主人公浜ちゃん(西田敏行)は、「釣り人」すなわち、れっきとした狩猟家だ。狩猟家の特性は攻撃だ。1988年の年末、バブル経済最盛期に始まった「釣りバカ日誌」シリーズの浜ちゃんは、公開直後の昭和天皇崩御という逆風を乗り越え、バルブ崩壊とIT革命の下の失われた10年を「世のサラリーマン」とともに戦い続け、新自由主義経済という名の格差社会のなかでついに力尽き消滅したのだ。

小町(松山ケンイチ)と小玉(瑛太)に、従来の喜劇映画の主役のような強烈な個性はない。しかも、鉄道という趣味はあくまでも対象を愛でる受け身の採取型だ。二人は世界とゆるやかに連帯しつつ、あくまで自己を尊重して個のなかに浸る。対象をむきになって攻撃したりなどしないし、それでいて何ものにも流されないというスタンス。

もし、この生き方が共感を生むなら、今の若者から支持されたとしたら「僕達急行」はシリーズ映画として成立しただろう。いや、むしろ将来が見通せない、若者に厳しい空気が支配する昨今の日本社会だからこそ、シリーズ化される意義は充分にあった。何故なら、森田芳光は『の・ようなもの』に始まり『椿三十郎』まで徹底して若者に優しい映画作家だったのだから。

何とも森田の早世が惜しまれる。合掌。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (5 人)KEI[*] 死ぬまでシネマ[*] けにろん[*] ガリガリ博士[*] ペペロンチーノ[*]

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