[コメント] イップ・マン 序章(2008/香港)
ギラギラと強さを誇示する道場破りは颯爽として荒々しくカッコイイ。対するイップ・マンは、裕福な家庭と厚い人望を併せ持つ完成された端正な紳士として登場する。2人の対決場面、この対照が実に鮮やかで面白い。イップ・マンは、自分の勝ち負けよりも家具が壊されて奥さんの機嫌を損ねることが気になって仕方ない。奥さんは荒事を嫌いながらも、幼い坊やを通じて旦那に早く勝負をつけなさいと伝える。それまでどこか攻防を楽しんでいたイップ・マンは、一転して道場破りの技の「出」を潰す闘い方に変化する。激しい格闘場面の中で、対決する2人の力量差を正確に示し、複数の人間像を丁寧に、ユーモアを混じえて描いている。映画を知り尽くしたプロが作った、信用するに足る作品だとすぐに判る。
イップ・マンは完璧な武術家として描かれる。映画の主人公としては、あまり面白みのないキャラクターだ。この映画は次に、そんな完璧な武術家が時代の荒波に対してまるっきり無力であることを描く。日本軍の占領下、商才どころか生活力もろくにないイップ・マンはただの貧乏人、武術がいくら強くてもなんにもならない。ドラゴンという職業はこの世にないのである。
だからこそ、弟子はとらないと言っていた彼が工員たちに詠春拳を教える場面は静かで確かな喜びに満ちている。それは、彼が中国人としての誇りを回復してゆく過程として描かれているからだ。山賊に身を落とした道場破りを工場から退け、出奔していた少年に亡き兄の小箱を渡す場面は心に沁みる。生きる意味を再発見し、失いかけた誇りを取り戻したイップ・マンが語る説教だからこそ沁みるのだ。
この映画、当たり前のように日本人は極悪非道だしイップ・マンはスーパー正しく超強い。それは娯楽映画として当たり前のことだ。詠春拳はカッコイイ。しかし、それだけでは終わらぬ陰影の豊かさを持った映画でもあることも明らかだ。移ろう時代の中でイップ・マンが生きた心の遍歴、そこにある普遍性が、結局は我々の胸を打つ。
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