[コメント] 冷たい熱帯魚(2010/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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例えば、最初の吉田さん毒殺のシーン。急に具合が悪くなる吉田さんをほったらかしにして、社本に「人はいつか必ず死ぬ」と突然演説を始める村田の場面。いままで元気だった人が悶絶しているという想定していない状況を、村田が「人物の豹変」という別の予測していない状況を作り出して社本の思考をマヒさせるという、考えてみれば、劇中人物がきちんと計算された行動をしているだけなんだけど、そこでの村田を演じるでんでんのセリフの切り出し方や抑揚のつけ方とか、吉田さんが泡をふくところの片隅感を感じさせる構図とか、そういうことがこの場面をすごく面白くしていると思う(愛子がソファで雑誌をめくっている演出は個人的にはあざといと思った。この監督過剰さが持ち味なだけに時々自分には合わないところが顔を出すんだけど、それはお互いの好みの差なので仕方がない)。
監督は以前「言いたいことを暴言する」主旨のTVのバラエティ番組で「日本映画はつまらない」と言ってたけど、先述のシーンなんかをつまらないとは言わないまでも、さほど印象に残らないように撮ってしまうようなことって多いんだろうな、と思ってしまった。それくらい面白い。映画は小説よりも音楽に近いってことで言うと、ここのノリ最高って感じ。
「アマゾンゴールド」のわけあり女子バイト店員たちのユニフォームのデザインや、電子レンジに冷凍食品を投げ込むところの劇伴の入れ方、解体シーンのテンポ、「もっと面白くなんないかな」と考えてサービスに力を注いでいることがよくわかり、決して既成の最低限説明できていればいい的な処理をしないところがいい。どこまでが役者のアドリブなのか、監督の演出指導なのかわからないけど、そういうテーマやストーリー以上に、場面の面白さを追求している(と思う)監督のもと、ピン芸人出身のでんでん、吹越満が呼応してこういうノリのいい作品にしあがっていったのだろう。ボールペンで刺されながら「しゃもとくぅん、ちょっと…痛い」とか、砂利石の上を布にくるまれてひきずられ「おしりがいたい」とか言ってるでんでん。さすがお笑い出身のアドリブ感。
テーマ的なことを言うと、自分は小説の「赤目四十八滝心中未遂」を読んだばっかりで、その小説の、小説家に憧れまっとうな社会を世俗と見放し、そこから脱落し社会の底辺を彷徨いつつも、社会の底辺でただ人生を生きている人たちからは、結局「よくわからない自分だけの世界に閉じこもっている異物」として排斥されていく主人公と、本作の主人公に重なるものを感じた。社本って善良な市民社会の中で、社会のルールの範囲内のなかでかなり自分勝手なことをしている小さな悪党で、決して社会のルール的には非難されないところでの、利己的な振る舞いを、妻や娘や常軌を逸した鬼畜夫婦に見透かされ、結局どこにも居場所がなくやはり排斥されていく。ちょっとだけ家族や他人に思いやりをもてれば、いくらでも受け入れてくれる世界があるのに、それができないから極端な人たちとしか出会わず、そんな狭い付き合いの中で「自分には居場所がない」と、自らが自分を排斥していくのだ。娘に蹴とばされ罵倒されくちびるを噛んで絶命している無言の社本の死に顔は、自己満足さの中にクローズドしていく人の、他者の話なんか聞かない身勝手な人間像と、同時にそういう生き方しかできない男の無念さを感じさせて絶品だった。「赤目…」で主人公はホルモンを串にさす仕事を生業にしているのだが、腐臭漂う赤い臓物に囲まれている様子が、本作とのシンクロニシティを形成したのが個人的にはちょっと感嘆した。
余談1。今回壮絶なキャラの応酬をしたでんでんと吹越満が、その後『あまちゃん』で漁労長と北三陸市の広報担当役でスナックなんかでゆるいからみをしていたりするのを見たりすると「この2人別の作品(本作のこと)で、笑っちゃうくらい凄惨なことしてるんだぜ」ってやっぱり人に話したくなるものだ。
余談2。タイトルを何度となく間違えた『淋しい熱帯魚』はWinkの代表曲。
余談3。台湾映画で『熱帯魚』っていうコメディがあるけど、これも名作。
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