[コメント] レスラー(2008/米=仏)
映画を見終った人むけのレビューです。
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ミッキー・ロークのプロレスにしても、マリサ・トメイのポールダンスにしても、二人の肉体は、衰えたとはいえまだ「稼ぐ」ことができるレベルをキープしている点では共通している。そして、その一方で、リングやステージという檜舞台から降りたとき、昼間の太陽のもとに露わになる彼らの顔に刻まれた無数の傷と隠せない皺。「80年代は素晴らしかった。90年代なんてクソくらえだ!」と息巻く彼ら。その傷だらけ皺だらけの顔面の現実感。なんと味わい深く美しいことか。
冒頭からカメラはロークの背中を追い続ける。しばし時間が経過して、初めてカメラが捉えた彼の顔面の”リアル”さ。大袈裟でなく固唾を飲んで見つめさせる神々しさを感じた。
職場放棄をしてプロレス会場に駆けつけるトメイ。そこには嬉々として肉体で観客を熱狂させ続けるロークの姿があった。肉体をさらすことへの限界を感ていた彼女は、入場口から姿を消す。彼との間に絶対的な隔絶が生じてしまったのだろう。
史上に残る、顔面の映画であり、肉体の映画である。
それにしても、前半のプロレスシーンで、屈強な男たちが観客を喜ばせるために綿密な打ち合わせをし、「才能あるぜ」「素晴らしかった」と称賛し合い、リング上でどつき合い傷つけ合う姿のなんと幸せそうなこと。本当に感動的であった。
欲を言えば、ロークがちょっといい奴すぎる。娘との関係やバイト放棄のシーンで示されてはいるものの、ダメな男、ダメな父親ぶりをもう一歩踏み込んで表現できていれば、さらに深みのある映画になったように思う。
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