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[コメント] いつか読書する日(2004/日)

筆を折るとき
町田

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この映画、鉛筆を削る、その古式ゆかしき鉛筆削りのアップショットから始まるわけだが、インターネット全盛、活字文化崩壊が取り沙汰される現代に於いて、坂よりも何よりもインパクトのある、また期待を膨らませる、完璧なオープニングであった。

田中と岸辺の数十年に及ぶ忍ぶ恋は、つまりは執着、当然罰せられるべきところを罰せられない、自らに架した罪の足枷で、そう、若い彼らは別段、誰に引き裂かれたわけでもないのだ。

そんな二人が、次第に、そして互いに欲望を尖らせ、雨に濡れ、遂に天から罰を受けること、傍から見て無残に唐突に「折られること」、それは二人にとって、唯一絶対の、心底待ちわびた解放に他ならず、だから二人は、川底で、或いは街の見渡せる坂の頂上で、ややもすれば嫌らしく、不気味に、微笑を漏らすのだ。

読書とは、人生を客観視すること、外の空気を吸うこと、父母が人間であったことを認めること、共犯者を探し出すことであり、ナルシスティックな自己憐憫や自己陶酔では在り得ない。ならば「いつか読書する日」とは、作者の座を捨て、読者が如き目で、自らの物語の行間を愉しむようになる、その瞬間と言うほど意味だろう。

仁科亜季子演じる病床の妻の二面性も面白い。よく尽くしてくれた夫に対する、感謝と罪悪の気持ちを前面に押し出しつつも、その背後には、残される二人の結末を、自らの目の届くうち、自らの手で定義付けようという、世にも狡猾な独占欲が見え隠れし、哀しくも人間そのものであった。

緒方明の演出は卒が無く、笠松則通の暗い画調も心地良いが、何と云っても音楽で、池辺晋一郎の、殆ど最期の日本映画音楽監督然としたその仕事ぶりに、私も頬が緩むのを禁じえなかった。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (7 人)煽尼采[*] Santa Monica トシ ぱーこ[*] ペペロンチーノ[*] ぽんしゅう[*] セント[*]

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