[コメント] 昼下りの情事(1957/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
この映画の好きなところ。
ユーモアたっぷりの父娘。チェロを弾きながら実はフラナガンの記事を見ている娘。変調するチェロの音色に顔をしかめる父親。娘との距離のとり方がたまらない。
いつでもどこでもついてくる楽隊。こちらも距離のとり方が絶妙。とくに、まるでフラナガンの気持をそのまま表わしたかのようなBGMが演奏されるなか、これといった会話もなくお酒が行ったり来たりする場面がよかった。
犬のルルの災難やミシェルの存在もよかった。
そして、アリアンヌとフラナガンの「情事」。ついでに「魅惑のワルツ」。
ラスト近くで、勝手に最後を想像していた。それは、実は初恋だとばれてるなんて夢にも思わないアリアンヌが、平静を装って「さよなら、フラナガン」と言うのに対して、「さよなら、アリアンヌ」と、彼女の名前を言ってフラナガンが去って行くもの。当惑した顔のまま駅にたたずむ彼女のところに父親が近づいてきて、何かしゃれた言葉をかける。こうして、映画のはじめでロマンティックな恋に憧れていた彼女は、洗練(?)された恋を知った。かすかに微笑むフラナガンとアリアンヌを交互に写してめでたしめでたし。
または、そのあと、画面は数年後にうつって、アリアンヌはかつて自分が演じたままの恋愛経験豊かな女性に成長し、フラナガンと再会して「私は昼下りの女よ。知ってるでしょ。」なんて言っちゃったりして?
もうほとんど馬鹿。
勝手に妄想する私を無視して、二人は駅に着いた。そしてアリアンヌが小走りで懸命に「私は大丈夫よ。だって・・・」とフラナガンが嫌った愁嘆場を演じる。(あ〜だめだよもうばれちゃってるんだよやめとけ)アリアンヌが言えば言うほど、こっちは泣けてくる。そして、この映画のラストで二人は確実に別れると、何故か頑なに信じていた自分を裏切るようにアリアンヌを抱き上げるフラナガン。(なんだと〜?)そして駅では父親が、まだなお二人はうまくいくのかと疑惑いっぱいの私の心を見透かしたように「ニューヨークで彼女は終身刑になるだろう」と捨てゼリフ。(あちゃ〜)
二十歳をとうに過ぎてこんなラブコメに感動するなんてなんか悔しい。
結局、単純な私はタイトルの「情事」というマイナスのイメージから、勝手にスマートなラストを想像していた。それに、父親はフラナガンのことをよく知る人物。大切な一人娘をあんな男にやれないよねとか適当に考えながら、この物語を早々に片づけようとしていたのに気づいた。そこで、見終わったあと、思い出された。映画の冒頭、父親の「パリでは老若男女いつでもどこでも愛し合う」という解説。それがよく分っている父親としては娘を止めるなんて野暮な真似できないか。(でも普通は止めるよね)しかもこのお父さん、フラナガンの依頼もちゃんとこなす実直な仕事ぶり。娘から手を引いてくれと我を忘れて感情的に言ったりしない。的確に言うべきことだけを言って見守る。
まったくご都合主義まるだしなんだけど、たまにはこういう映画を観て、自分のすさんだ気持を癒したい時があるんだよと自分で自分に言ってきかせる。
(でも二人の結婚生活は想像したくない)
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (9 人) | [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。