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[コメント] 69 sixty nine(2004/日)

一度好きになったからには誰が何て言おうが応援するしずっと愛すのだ。
Linus

「笑いっていうのは調和をもたらす重要なファクターで、俺たちの逃げ道は そこ以外にはないのかもしれないって」(高見広春・BATTLE ROYALEより)

クドカンを好きになったのはいつだろう? と考える。確か7〜8年くらい前に、 友達から「今、大人計画って小劇団が人気があるから見に行こう」と誘われ、 見に行ったのが最初だっただろうか? まだ、IWGPのホンなんて書く前のオハナシ。 で、三ツ目のドラエモンとか出たり、「くっすん大黒」なんてギャグがあって、 大笑いしたのを覚えている。まぁ、でもこの時の作は松尾スズキで、 役者として目立っていたのはサダちゃんの方なんだけど、ひょろひょろの色白の人 (クドカン)に目がいったんだな。

その人が、『愛の新世界』では焼き鳥屋で、SMの女王さまに「はい。ネギマ」と まるで素のような台詞を喋っていたり、『キッズ・リターン』では、 上目づかいな表情をしてカツアゲされてるトコなんて見たら、もう、コロッと 騙されてしまったのでした。

今はなくなってしまった映画サイトで知り合った子にクドカンのファンだと 教えたら、その子も大人計画のファンで、グループ魂のビデオをダビングして 貰った。私もお礼にばちかぶりのテープをMDにしてあげたけど。 もう、このビデオはめちゃくちゃ面白くて、『踊るマハラジャ』のパロディの コントがあるんだけど、この振り付けを担当したのが奥様だと知って、 夫婦揃っておもろいことしてるんだぁ〜と思ったものです。

で、もうこの人、大好き! になったのは、「たけしのオールナイト・ニッポン」の リスナー&ハガキ職人だった事実を知ってから。私は、もう無類のたけしファン で、それは『座頭市』に書いたので割愛しますが、オールナイト・ニッポンの リスナーだった人にめちゃくちゃ弱いわけです。子供時代の刷り込み教育というか、 眠いのに遅くまで起き、布団の中でクスクス笑ってたあの時代。一人で聞いてる ようで、あの時代に殿に頭をヤられてた人って多いんですね。 ナンシー関、爆笑問題の太田くん、クドカン(は、高田文夫先生の方が好きだった らしいけど…)、みんな、小泉せつ子&道上ゆきえのネタに笑っていたんですなぁ。

たけしさんが昔良く言ってたことで「俺の感性に忠実に生きたい」 ってのがあって、ナンシーは「たけしに世界を教えて貰った」という言葉を残した わけだけど、本当にそうなんだよなぁ〜と思うようになりました。たぶん、 たけしさんのこれまでの言動を、私的に解釈すると、「周りに流されず自分を信じて 生きれば道は切り開かれる。でも、人生に期待するな」ってことなんじゃないで しょうか?

たけしさんっていうのは、まさに全共闘世代で、思想とか理屈とかを解体し、 全てを〈笑い〉にしちゃった人です。冒頭で高見広春の文章を引用しましたが、 全共闘世代の人が、その時代を生きて、結果、笑いを選んだんだから説得力がある。 っていうか、連合赤軍とかオウムとかには、笑いという調和を もたらすファクターが欠如してたから、凄惨な事件に発展したのでは? と 私は本気で思ってます。私自身、子供時代にイジメる側にもイジメラレる側にも ならなかったのは、〈笑い〉って武器があったからだし。

じゃぁ、世の中ヘラヘラ笑ってるだけでいいのか?という意見もあるだろうけど、 「思想とか理屈」を解体した結果なんだし、それがダメだと考えるならば、 「笑い」を解体させればいい。時代なんて、右ばっかりに行けば、アンチが 左に行ってそれが多数になったら、また右に戻るって繰り返しなんだし、 現時点で、全共闘世代の「思想&理屈」を、解体された後の時代しか知らない クドカンは「笑い」として構築したってことで、いいんじゃないかなー? っていうか、クドカンにはクドカンの感性に忠実に生きて欲しいと、 あの時代、布団の中でクスクス笑っていた同志として心から思っております。

しかし難を言えばあそこまで60年代の音楽やファッションを再現orパロディにして (ケンの見ているポルノが『荒野のダッチワイフ』とか、 毛沢東の写真に「ニャロメー」と吹き出しがあるのに笑った。←もしかして 『キル・ビル』くらい見るのにマニア度が必要?)、 主題歌は、ちょっとテイストが違うんじゃないでしょーか? あそこは、 クドカンの好きなゆらゆら帝国で締めて欲しかった。

〈おまけ:原作と映画を比較して〉 村上龍の小説というのは、仲間とワーワーやってるけど、どこか主人公が 冷めていて、結局、その仲間と過ごした時間とか思い出は大事なんだけど、 切ってしまう非情さがある。それは、「限りなく透明に近いブルー」とか 「69」なんかもそうなんだけど、そうやらなければあの時代の連帯に 足をとられ、いつまでも「思想」や「情」にがんじがらめになってしまったのだろう。 しかしクドカンというのは、小劇団出身で、仲間とワーワーやって上りつめた人で (彼の映画やTVドラマの端役には、いつも劇団の仲間が存在する)、 仲間を切るという発想はない。その違いがラストに出たんだと思うし、 「69」はあくまでも高校時代の勢いで生きていた〈祭り〉なんだし、 それが抽出できただけで、いいじゃないですか。

(評価:★5)

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