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[コメント] 戦場でワルツを(2008/イスラエル=独=仏=米=フィンランド=スイス=ベルギー=豪)

「アウシュヴィッツの後に詩を書くことは野蛮である。」

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この映画を観て率直に思い出したのは、「アウシュヴィッツの後に詩を書くことは野蛮である」と語った、あるユダヤ知識人の有名な言葉だった。自分はその言葉が出ている原典を読んだことはないし、この言葉の解釈にはあれこれあり得るようにも思えるのだが、ただ、文化がその発展の末に「アウシュヴィッツ」のような野蛮を帰結したのなら、文化、即ち「詩」は、野蛮と等価なのであって、「アウシュヴィッツ」の惨禍を見た後に詩を書くことは、だから野蛮なのである、と、恐らくはそういうことなのだろう。アウシュヴィッツに象徴される虐殺が文化に含まれ得るのは、恐らくはそれが一見文化的とも言える理性的で計画的な段取りを踏みながら為されていたからだろうと思うし、その意味で文化の粋とも言える「詩」と「アウシュヴィッツ」は本質的に等価なのだと、それは、判る気がする。

それで、この映画だ。この映画はやはりアウシュヴィッツ程のものではないにしても虐殺を主題にしている。そして、その映像はアニメーションであることによって時に詩的とも言えるほどに美しい。自分はその混在に、ある種の罪悪感を覚えるのだ。虐殺は「悪」である。而してそれを描こうとするこの映画の美しさ、即ち「美」は、いったいなんなのか。「悪」が「美」によって描かれることは、果たして本当に「悪」を描くことになるのか。「美」がダメなら「醜」で、ということではない。意図的な「醜」もまた、美学的な反転でしかないという意味で「美」の範疇にあるものだろうからだ。「美」は容易に、言語道断な「悪」を、感傷的で手頃な「悲劇」にしてしまうのではないか。そのようにして描かれたこの映画のアニメーションという美学的な選択が、自分には正直欺瞞的なものに思えるのだ。

たとえばその表現によって、確かに事象はより削ぎ落され、事態をスマートに見せることは出来るかも知れない。だが、事態は本当にそのようにスマートだったのか。それで、失われた命は本当に贖われるのか。べつにアニメーションだからいけないというわけではない。実写でも同じことなのだが、アニメーションであるということによってこの映画が得た“娯楽”映画としての文体(飛躍的な場面転換や象徴的な情景描写)が、やはり自分には欺瞞的なものに思えるのだ。この映画は、観客の目を確実に楽しませる。楽しませるのだ。それは、再び言えば、虐殺という言語道断な「悪」を、感傷的で手頃な「悲劇」へと転化し、消費させてしまうのではないか。

あるいはこうも言えないか。「アウシュヴィッツを見て涙することは野蛮である」、と。アリストテレスはかつて、悲劇の効用をカタルシスと定義して、涙を流すことによって感情が浄化されるその在り方を悲劇の特徴として語った。「悲劇」とは、つまり「詩」であるということは言うまでもない。虐殺は、勿論「詩」ではあり得ないし、また「悲劇」でもない。それは言語道断な「悪」なのだ。この映画が、イスラエルの人々にある程度に歓迎されたということも、頷けないことではない。この映画はその虐殺を、一篇の悲劇として描き出すだけの映画であるから。だが、重ねて言えば、それを見てイスラエルの人々と同様に涙を流すことは、果たして正当なことなのか。それが自分には疑問なのだ。

しかしそれでは、たとえばラストシーンの記録映像。それが「悪」の正体なのか。違うのだ。問題はやはり、本質的には実写かアニメーションかということではない。問題は、そこで美学的な選択としてアニメーションという手法が用いられ、そして一種の“娯楽”映画の文体でそれが展開されているということなのだ(最後に挿入される記録映像は演出的にはその文体の延長線上にこそある)。しかしでは、どうすればよかったというのか。それについてはたとえば『SHOAH』という記録映画が手懸かりにはなる。その映画では丹念に証言だけを集めていくことによって、虐殺という事象、つまりは死という事象の表象不可能性をこそ見据えていた。「アウシュヴィッツ」以後、あるいはその後の世界中で無数に起きた小「アウシュヴィッツ」以後の世界にあっては、そんな態度こそが大事なのではないか。

大きく開かれた忘却の黒い穴…。恐らく虐殺とはそのようなものだ。忘却の黒い穴の中にキャメラをもちこめば、あるいは何も映らないかも知れない。だが、何も映らないことをじっと見据えるのも、ひとつの倫理的な態度なのではないか。この映画が倫理的でないとは言わない。それは確かに、イスラエル人の立場からの一つの誠実なアプローチではあったかも知れない。しかしこの映画が見るものに見せつける美しさには、やはりどこか、罪悪感が付き纏う。自分には、そういう映画だった。

(評価:★3)

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