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[コメント] クレイマー、クレイマー(1979/米)

これは有名な話なのだろうか。ふたりに引き裂かれるビリー君の哀しみを、「悪役」メリル・ストリープは後に自分で引き受けるのだった。『ソフィーの選択』で。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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大まかには米70年代の主要潮流「ゆきすぎたリベラルの反省」に属するのだろう。ダスティン・ホフマンのハイソな広告代理業は空疎、メリル・ストリープの神経衰弱は精神分析の流行が生んだビョーキ、彼女の自己中振りは我が儘フェミニズム、「神聖」な家庭に裁判沙汰を持ち込むのも保守派には許しがたい、といった処だろう。聖書では離婚は大罪である。筋書きだけみれば鬱陶しい作品だ。

しかし映画はそういう感想を許さない。むしろ、このふたりのように微調整を重ねるのが、例えば女性の自立には大事なのだ、と励ましてい るようだ。この辺りの穿ったニュアンスに惹かれるものがある。裁判にしても、(弁護士のやり過ぎは無茶で、ジャスティン・ヘンリーの出廷をホフマンが拒むのは立派だが、一方)洗いざらい打ち明け合えて良かったじゃないかとも思わせられる。裁判大国と日本人はすぐ揶揄するが、泣き寝入り文化がそれほどいいだろうか。

ホンは定跡踏襲が多い。机で脚組んで憎々しげに登場するホフマン、ブーたれて登場するジャスティン、喧嘩の後の謝り合いと許し合い。怪我と後悔。元亭主と寄りを戻すジェーン・アレクサンダーの対照的なサブプロット。しかし俳優と撮影がいいので気にならない。特にジャングルジム転落時の一瞬の幻覚、続く力強い延々たる横移動、この組み合わせは感動的だ。

「悪役」メリルは実に微妙な造形がなされている。ジャスティンに別れを告げる長い長いファーストカットは、彼女を決して悪役とは観ないでくださいと断っているようで、一方、登校する彼を盗み見する狂気には凄味がある(この件に続いて事故は起きる。まるで彼女の恨みが引き起こしたかのように)。明らかに彼女は自分をコントロールできていない。感情移入して観るのは誤りだろう。ラストでこれは克服されただろうか。それともホフマンは彼女の病も引き受けるのだろうか。

この微妙なラストは素晴らしく上質、アルメンドロス繋がりでトリュフォーの傑作が想起される。これは子供のため、ふたりが愛情を取り戻した訳ではない、と読むか、それこそが夫婦愛なのだと読むか、見つめ合うふたりに愛情の復活を読むか。答えは観客に委ねられたのだろう。原作ではただの電話の会話らしい。

(評価:★4)

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