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[コメント] 香港国際警察 NEW POLICE STORY(2004/香港=中国)

ジャッキー・チェンという存在の凄さを改めてこんなにも見せつけられるとは。今年これ以上の感動が訪れることはもうないだろう。(05.04.07@ナビオTOHOシネプレックス)
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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ジャッキー・チェンが香港に戻って『香港国際警察』の新作を撮るという。当然のことながら、わたしは大きな期待に胸を膨らませた。予告編も、その期待を更に煽るものだった。しかし、実際に映画を観て、わたしは自分の浅はかさに恥じ入ることになった。こんなに凄い映画を観られるなんて思ってもみなかった。わたしは、ジャッキー・チェンをなめていた。土下座して謝っても足りない。そして、こんなに凄い映画に対して、一体何をどうすれば報いることができるのか、わたしには正直、見当もつかないのです。

では、具体的にこの映画の凄さとは一体なにか?いろいろと考えてみるに、この映画の凄さは、究極的にはジャッキー・チェンの役者としての凄さによって補完されているのではないかと思う。(もちろん、映画監督としての才能、コリオグラファーとしての才能は如何なく発揮されており、それらがこの映画の骨であり肉であることは自明のこととして敢えて措かせていただきたい。この点についてはペンクロフさんのコメントをお読みになることをお勧めします。)この映画には、残念ながらいくつかの弱点がある。それらの穴をジャッキー・チェンの役者としての力量がきっちりふさいでいるんです。それについてお話したいと思います。

まずは、ストーリーがベタすぎること。まあ率直に言って、今までにいくらでもあった話です。いくらでも転がっている話が悪いわけでは決してない。ただしこれを魅力的なものとして成立させるには相当の担保が必要なのです。大変に難しいことです。この映画において役者ジャッキー・チェンは、その担保として十全に機能しているのですよ。特に恋愛パートについて特筆させていただきたいのですが、このようなハードなタッチのお話に恋愛を持ち込むと、なかなかうまく馴染まず、得てして蛇足に感じられがちなものですが、この映画はそれを回避できている。それは例えばシウホンに促されて「Happy Birthday to You」と唄うジャッキーの震える声や、絶体絶命の危機において恋人が尋ねる「今でもわたしを愛している?」という命懸けの問いに対する「今までも、今も、死んだ後も君を愛する」という応えを発するときの、絞り出されるような声と表情が、そこに真実を生む力を持っているからに他ならないわけです。

もうひとつの弱点は、悪役たる若者たちのキャラクターがチャラ過ぎること。正直、これはチャラいと思います。ゲーム脳でX-sports(*注)で金持ちのお坊ちゃんで親に対してコンプレックスを抱いている。これぞステロタイプ!と言わざるを得ないような無軌道な若者キャラですが、それがどうでしょう、ジャッキー・チェンという役者と向き合うことによって俄然そのキャラクターに魂が宿ることは、クライマックスのシークエンスを観るとよくわかります。

そして、これは弱点の補完としてではなく、ジャッキー・チェンによる映画のマジックをひしひしと感じたのは、ラスト、シウホンの回想シーンでした。中盤、刑事でないことがばれてチャン刑事に問い詰められるシウホン。「昔、一人の泥棒がいました。その泥棒にはお腹を空かせている子供がいて…」しかしチャン刑事は「この後に及んでまだ与太話か!」とシウホンを一喝し、その泥棒と子供のお話は断ち切られてしまう。しかし、観客にはもうわかっています。シウホンがその子供であったこと。シウホンの親はそのときに亡くなってしまったのであろうこと。そして、そのときシウホンに救いの手を差し伸べてくれたのが誰あろうチャン刑事であること。ですから、ラストで再度そのシーンを映像として見せることは、おそらく蛇足であり、映画の教科書に「やってはいけないこと」としていの一番に書かれているはずです。しかし、しかしですね、我々観客はその回想シーンにこそ息を呑むわけです。その子供の前に、チャン刑事としてのジャッキー・チェンが現れる、その一瞬に息を呑む。そして、シウホンが刑事に成りすまし、命を張ってまでチャン刑事を立ち直らせようとしたその想いをまざまざと思い知るわけです。「さすが僕のヒーロー!」という言葉に込められた真の想いを。わたしはこのシーンを思い返しながら、『沓掛時次郎 遊侠一匹』という映画を思い出しました。この映画には、中盤に、それまでの映画のプロットをそのまんまおさらいするかのように、萬屋錦之助が語るシーンがあります。今まで観てきたお話をもう一度語るなんて、余計なことにしか思えないのですが、これがまた不思議なことに、錦之助の一言一言に涙が流れて止まらないのです。教科書通りには行かない映画のマジック。本当に、こういうものを観るたび、わたしはつくりごとが真実以上の真実を紡ぐ様子に目を見張らずにはいられません。「マジック」としか呼び様のない何か。『新警察故事』において、このマジックを成らしめているのはジャッキー・チェンという「存在」そのものをおいて他なく、素晴らしい演技力を持つ俳優は数多居れど、このような「マジック」を起こし得る役者は世界中を見渡してもそう居るものではありません。

ああ、もっと端的なことを言えば、とにかくびっくりしたし感動したんですよ。自身が最高傑作と自負する『香港国際警察』への再挑戦。そしてその象徴たるバスアクションと大きな建物での落ちアクションはあれから20年経ったとは思えない素晴らしい歯応え。ここ数年の近作では感じることのできなかった充実感。ああ、そうなんです。ジャッキー自身がどう思っているのかわかりませんが、この映画はジャッキーの近作と、それに対するファンの想いと重なって見えて仕方がないんです。ジャッキーがハリウッドでトップスターとして認められたことは本当に喜ばしいことでした。しかし、それ以降にジャッキーが出演したハリウッド資本の映画群の出来映えの無残だったこと。(『ラッシュアワー2』まではまだいい。『シャンハイ・ナイト』『メダリオン』『80デイズ』と、坂道を転がるような凋落ぶり…(『タキシード』は観ていません(全くこれらの映画の関係者はこの『新警察故事』を観てイチからやり直すべきだ。自分たちがいかにぬるい仕事をしてしまったのかをイヤと言うほど思い知るべきだと思う。)そして、この映画での完全復活!それを、チャン刑事の挫折と復活に、ついつい重ね合せて観てしまうんです。歪んだ観方だとわかっていながらも…。

それと、50歳のジャッキーが、やっとその年齢に見合ったキャラクターを手に入れられたことに安堵の念を禁じ得ません。ジャッキーは、40歳を過ぎてもなかなか「青年」から「中年」へキャラクターをシフトさせることができませんでした。それはジャッキー・チェンの役者としての限界かとも思われました。この映画では、若手スターを積極的に起用したことによってその点についてもクリアし、中年としての立ち位置をスムーズに手に入れることができたと思います。

それが嬉しいのは、つまりジャッキーはまだまだやってくれるぞ、と思えるからです。以下は勝手な思い込みですが、ジャッキーは、ハリウッドをある程度見限ったのではないかと思うのです。長年に渡って越えられぬ大きな壁だった「ハリウッド進出」を果たしたジャッキー。そして実際にハリウッドで映画を作ってみて、その不自由さとシステムの行き詰まりを実感したのではないでしょうか。さらに、香港でならまだこれだけのものが撮れることがわかった。また、ひと昔前と違ってアジアのコンテンツは実力・ブランド力ともに向上している。韓流がそのよい例です。タイにはトニー・チャーという逸物もいる。それに中国という市場が目の前に開けている。ハリウッドに行かずとも世界を向いて勝負が出来るんです。アジアというフィールドで、十分に勝負ができる…。ならば、ジャッキー・チェンというこのとてつもない才能を、阻むものが一体どこにあるでしょう。彼はまだまだやってくれます。50歳を越えて、新章に突入しようということらしいです。ああ、本当に、わたしがこの時代に生きてこられたことを心から感謝せずにいられないのは、この唯一無二の映画の申し子を、リアルタイムで見つめ続けていられることをこうして実感するときです。これを至福と言わずしてなんと言えば良いのでしょうか。

*注:でもX-sportsという極限のスポーツとジャッキーの超絶体技を比較するというのはなかなか良いアイデアだな!とあとで思いました。

(評価:★5)

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