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[コメント] ゴジラ(1984/日)

「ゴジラとは何か?」/破壊神は復活したか?そして林田教授とは何者か?
空イグアナ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







キング・ギドラやメカゴジラと戦い、いつしか正義の味方と化していたゴジラはこの映画で悪役に戻った。しかし第1作目と比べてみると、そのゴジラ像はずいぶん違うようである。まず映画に込められたメッセージが違う。第1作目では反戦・反核が色濃かったが、この映画でのゴジラは肥大しすぎた文明に対する警鐘である。これは特撮を担当した中野昭慶監督がインタビューで語っていることだ。

「第一作のゴジラは水爆大怪獣と銘打っていましたけど,八四年の時点では水爆といっても一般にはピーンとこないんです。ましてや原子爆弾なんてわからない。放射能汚染といっても、今でこそチェルノブイリの事故があったから話題になったんで、八〇年代に核を出しても、もう古いよという時代だった。そこで核はバックグラウンドストーリーに抑えて、前面に出すのはやめようと。」

「五四年当時は、第五福竜丸が放射能汚染されて社会問題になっていたし、広島や長崎の原爆の後遺症で苦しんでいる人がたくさんいました。子どもたちだって、核への恐怖感を抱いていた。核がきわめて現実的で新しかった時代だった。」

「ゴジラは核への警鐘である、というコンセプトはこの時代に合わないから、文明の巨大化・肥大化への警鐘という話にもっていった。」(以上、冠木新市「ゴジラ・デイズ」集英社文庫より)

そしてこのメッセージは、劇中で林田教授の台詞として語られている。「君たちは原子力発電所を襲うゴジラを見て何も感じなかったか?30年前その姿を現すまで、ゴジラは伝説の怪物だった。こうした伝説は世界中の神話に見られる。ゴジラは人類に対する滅びの警鐘だ。」

第1作目のゴジラと違う、もう1つの点は、ゴジラの怪物らしさが薄まったことだ。よく言われるように、この映画ではゴジラが小さく見える。大都市のビルはもはや大怪獣ゴジラよりも巨大になってしまったのだ。だがファンとして勝手な要求を言わせてもらえば、その巨大なビル群にも負けないゴジラの暴れっぷりを見たかった。自分の何倍もあるビル群を破壊しまくるゴジラ。人々は「なんて恐ろしい怪物だ。」と震え上がるのである。そうすれば「肥大しすぎた文明への警鐘」というテーマももっと表現できたと思うのだが・・・。

もう1度「30年前その姿を現すまで・・・」という林田教授の台詞を思い出してほしい。驚異的な力を持ってこそいるが、ゴジラはあくまで生物なのだ。地震や雷といったものに恐怖するように、僕たちはゴジラという「生物」を超自然の怪物のように見ているに過ぎない。この映画はそう言い切ってしまったのだ。そしてゴジラを科学的に解説し、生物としての性質を利用して火山に落とされることで、ゴジラはすっかり破壊神としての威厳を失ってしまった。30年前その姿を現すまで大戸島の伝説の怪物だったゴジラは、もはや動物になってしまったのだ。

ところで僕には林田教授の「原子力発電所で・・・」という台詞はどうも理解しにくい。科学者とは思えないくらい宗教的な発言である。この台詞を2つに分けてみてほしい。「君たちは原子力発電所で何も感じなかったか?ゴジラは滅びへの警鐘だ。」これは宗教家の言葉だ。地震や雷、といった自然現象に対し、何かしらの意味を見出す発言である。それに対し、「30年前、姿を現すまで、ゴジラは大戸島の伝説の怪物だった。こうした伝説は世界中の神話に見られる。」というのは、無神論者が、宗教家の心理を一歩離れたところから、解説したものである。林田教授は、この相矛盾する立場の意見を一人で語っているのだ。この映画にはもう一人、宗教家を登場させて、宗教家体科学者(林田教授)という図式をつくったほうがよかったのではないか?

もちろん現実の科学者にだって、宗教を信じている人はたくさんいる。だが現実ではともかく、映画の登場人物としては科学と宗教、両方の視点からゴジラを語る林田教授からは、マッドサイエンティストのにおいを感じてしまう。

林田教授のわからないところは他にもある。先ほどの「原子力発電所で・・・」という台詞は、次の二つの台詞に挟まったいるのだ。「私はゴジラを葬ろうなんて思っていない。」「私はただゴジラを自然に帰してやりたい。それだけだ。」これは主人公の「火山を使ってゴジラを葬ろうなんて・・・」という言葉を受けてのものだが、火山に沈めることがどうしてゴジラを自然に帰すことになるのだろうか?そしてこのことと「原子力発電所で・・・」という台詞とが、どう関係するのだろうか?

さらに彼はゴジラがスーパーXの放ったカドミニウム弾で倒れたとき、驚いた表情で「ゴジラが死ぬはずがない!」とまで言うのだ。どこか凡人には理解できないものを持った人である。

しかしながら彼はマッドサイエンティストとしてよりも尊敬できるエリートで、ゴジラを倒すヒーローとして描かれているのである。マッドサイエンティストのなり損ないという気がする。もっと明確にマッドサイエンティストとして描いてしまったらどうだろうか。

彼は両親をゴジラに殺されたことで、復讐の鬼と化し、ゴジラ研究を始めた(これは本編でも語られている設定だ)。だが一方で原爆を開発し、ゴジラを目覚めさせた人間の愚かさを知っている。そして今では、人類こそが最大の悪であると考えている。林田教授は確信している。自然界には、他と共生できないものは排除されるシステムがあるのだと。人智を越えた力とは言わない。いやむしろ科学的に証明できることであり、自分は学者としてそれを証明してみせる。そして文明を肥大させ、自然を破壊しまくる人類は、そのシステムによっていずれ滅ぶ運命にある。そして原爆を爆発させたとき、ゴジラが出現した。人類は、自然界から浮いた存在なのだ。同時にその人類に対して、自然界が発動させたゴジラも、自然から浮いた存在となってしまったのだ。彼は人類を憎んでいる。そして人類のせいで自然から浮いてしまったゴジラを哀れむのである。その言動から、他人からは受け入れられない林田教授。しかし科学者としての実力は確かで、国もゴジラ対策のために彼に協力を依頼する。

ラストで涙を流すのは、三田村首相よりも林田教授であるべきだったのかもしれない。彼は火山に落ちていくゴジラを見て、何を思ったのだろうか?やはりゴジラは死なないと考えているのだろうか。今(1996年以降)だったらこんな台詞が思い浮かぶ。

「ゴジラは必ず復活する。ゴジラは人類を許さないからね。」

(評価:★4)

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