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[コメント] ゴジラ(1984/日)

シリーズ中、本作ほど「今、ゴジラをやる意義とは何か」を突き詰めながら作られたものはないのではないか、と思われるくらい生真面目な仕上がり。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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核や戦争のメタファーである「ゴジラ」という原点にスタッフが立ち返った結果、今ならこれは、東西冷戦下において核の応酬を引き起こす「第3の核」であろう、と見做し、武力を行使してこれを排除するか、「太陽政策」で危機を回避するか、というような政治シミュレーションに基づいたストーリーが考えられたのでしょう。それならそれで、帰巣本能を利用してゴジラを送り返すプロジェクトが、強硬派に押され迫害されていて、でも彼らの成功だけが核戦争を回避する唯一の希望だ、というような設定にしておけば、テストに成功し、研究所から三原山に向かおうとするまでの間、瓦礫に阻まれたり、ヘリコプターから機材を落としそうになったり、などのシーンが手に汗を握るものとなって、もっと面白く作れたように思う。

また、三田村首相が、ゴジラの襲撃より「米ソの核爆発」の方を、何よりあってはならないことのように感じているのがゴジラの印象を弱くしている。「国家」や「政治」で物を考えた場合、暗喩よりも直喩が勝ってしまうというのは致し方ないでしょう。

ゴジラの最期を見て涙ぐむ小林桂樹の目をみて、どこかで見たことのある表情だなと、思い当たったのが、映画などで見た記憶のある「敗戦の報を受け祖国に敬礼をする兵隊」の顔。あの個人や家族という身近なものではない、もっと大きく抽象的な存在に生命を賭した者、今よりもっと利他的な考えの人々が感じた「終わってみればみな等しく犠牲者であった」というような、他を思いやる気持ち、悲しいというよりも無念、その悔しさの対象がどこにあるかもわからない故に、どこか遥か遠くでも見ているように目を細めるあの表情。政治家でも経営者でも多くの人の上にたつ人って本来こういう顔ができなきゃいけない人だと思うんだが、すっかり見なくなってしまった。もっとも自分だって人のことを言えた義理じゃないですが。

このゴジラは「国家」の問題だった。約20年後の『ゴジラ×メカゴジラ』では、それが「個人」の問題であったことを思うと、随分日本人の意識の持ち方も変わってきているのだな、と隔世の感があります。

(評価:★3)

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