[コメント] 眠狂四郎勝負(1964/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
眠狂四郎は断じて、「ヒーロー」なんかじゃない。
ある時は勧められるがままに毒茶を飲まされ、またある時は入浴中に襲われる。そして、その度ごとに決まって助けられる。こんなつまらないへまばかりする奴がヒーローなわけがない。
では、眠狂四郎とは一体何者なのか?
彼は一介の「浪人」に過ぎない。
浪人とはいうまでもなく徒党を組まない者のことだ。だから、彼はいつも「一人」である。一人である彼にとって、敵も味方も本来は存在しない。
そう言えば聞こえはいいかもしれない。しかし、こいつ、女への「欲望」はあからさまに示すし、「面倒なことには出来ることならかかわりたくない」という小市民でもある。ヒーローでないどころか、「小悪党」である。
とはいえ、そんな小悪魔くんにも、それなりに「守るべきもの」が存在する。
いや、存在するらしいのだ。
この映画を観たものは、一人の勘定奉行に肩入れする狂四郎を知ることになる。この老人、幕府の一員でありながら、その実、幕府の「掟」から外れた「異端者」である。狂四郎はこの老人に惚れこんでいる。
彼と老人を結びつけるもの。それは、彼らの持つ「政治思想」なんかじゃない。そうではなく、自分もまたその一員である「大衆」の、その「一人」、「一人」を大切にして生きたいと願う心だけなのだ。
だから、老人がふいに襲われた時、狂四郎は「護衛」を名乗りでる。それは、組織の中で一人の「個人」として生き続けることが、いかに難しいかを彼が悟っているからに違いない。
この映画のハイライトは、狂四郎がこの老人の前で満面の笑みを見せる場面だろう。「眠狂四郎シリーズ」を追いかけて来たおれだが、ここまで無防備な彼は見たことがない。そしてまた、「ニヒル」というレッテルを外れた狂四郎はとても自然である。「レッテル」なんて、所詮は貼り付け自在の「付箋紙」のようなものに過ぎないのだろう。
さらに、この映画にはもう一つ快活な狂四郎を見られる場面がある。話の中盤で、「お尋ね者」の狂四郎を探す武士たちに、姿を見せない彼が呼びかけるシーンがそれである。この時の彼の「朗らかな声」がおれは大好きだ。俯瞰するカメラ・アングルが存在したせいか、この場面で、おれはふと、狂四郎が木の上から叫んでいるのではないかと思った。
と、ここで木登りをする狂四郎を想像してみる。・・・ギャハハハハハハ、なんて、かっこ悪いんだ!
そう考えながらも、その時の狂四郎と一緒になって、同じように叫んでいるおれがいるのだ。
「いるよ! <ここ>だあ!!」
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