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[コメント] 風の電話(2020/日)

物語のなかの出来事が「現実」としてせまってこない限り、現実の惨事に遭遇した人たちが抱えた喪失感など描けるはずはなく、たとえ、その存在に救われる人たちがいるとしても、いささか寓話じみた「風の電話」という“実話”を題材にすることに私は懐疑的でした。
ぽんしゅう

ところが、そんな私の浅はかな疑義はあっさり払拭されて、物語の語り口としてなんて完璧な映画だろうと感心しながら観ていました。諏訪敦彦監督は、喪失感が貼り付いたようにエキセントリックなまでに表情のない少女(その号泣の切ないこと)を、まるでドキュメンタリーのように芝居気のない人々の営みで包み込む。

そこに顕在化する日常から乖離してしまった少女と、日常(食べることのリレーで繋がれる)に何とか踏みとどまっている人々の間の溝は、埋まりそうであり、埋まらなそうにもみえる。その“曖昧さ”に、喪失感を抱え込んだ人たちに対する、諏訪監督の優しさと真摯さを感じたのです。

すると今度は、こんな完璧な語り口の映画に「風の電話」などという(誤解を恐れずに書けば)自己満足の懺悔に成りかねないエピソードなんて必要ないだろうと思い始めました。少女が電話ボックスへ向かうシークエンスに至って、叶わぬこととは思いつつ、まったく別の(逆の)結末を期待しながら、私は成り行きを観ていました。

やはり私には、この期に及んでの「風の電話」のくだりは蛇足に感じました。作劇は完璧。映画に責任はない。どうしても残る違和感は、実在するという「風の電話」の死生観と、私の死生観の相容れなさが原因です。死者との距離の取り方は千差万別なのだなあとつくづく思います。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)ゑぎ[*] けにろん[*]

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