[コメント] アウトレイジ(2010/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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もともと、北野が書く脚本は大したあやもなく単調だったし、それが北野らしさでもあった。今回は、娯楽性に留意して物語の「展開」を意識してはいるようなのだが、話しの骨子となる図式は会長(北村総一朗)に端を発して、何人かを経て大友(ビートたけし)から石原(加瀬亮)へと至り、お決まりの範疇の齟齬をきたしながら、またその逆をたどるという上下運動を繰り返す単線ぶりで、「展開」などといえるのはせいぜい村瀬組(石橋蓮司)へのちょっかいくらいなのだ。
セリフに至ってはさらに貧弱だ。「バカ野郎!」「この野郎!」というセリフ(?)など、しょせん「どっこいしょ」「よっこらしょ」と同類の掛け声のたぐいでしかなく、いくら(呆れるほど)連呼されようが物語や映画表現に何かが付加されるわけではない。逆に登場人物のセリフからこの「罵声」を差し引いて、会話のやり取りを思い返してみたとき、そのあまりの空疎さに唖然とする。そこに表れる寒々しさは(演出手腕が各段に上達しているので気づきにくいが)『みんな〜やってるか!』(94)と同質の独善的な甘えた思い込みの表れで、ここ3作ほど続いた模索の後、北野は進歩どころか退化してしまったのではないかとすら感じてしまうのだ。
結局、残虐なバイオレンスのアイディアも、繰り返される罵声の嵐も、(「みんな〜やってるか!」のネタがそうであったように)北野ひとりが面白いと思っている事象でしかなく、いくらそれを羅列したところで万人の我がままな願望の極みである「娯楽映画」の核にはならないということだ。もっとはっきり言ってしまえば、残念ながら北野には娯楽映画の脚本家としての資質を感じないのだ。もし本気で客を呼べる映画を目指すのであれば、北野は自らの作家色を封印して脚本を第三者にゆだねるべきだ。
あの黒澤明だって自らの単独の脚本作品より、優秀な脚本スタッフと組んだ作品群の方がはるかに面白かったし、深作欣二の『仁義なき戦い』(73)のスリリングさは笠原和夫脚本の構成の見事さはもちろんだが、散りばめられた数々の生臭く躍動的なセリフに負っていたではないか。
確かに映画館は満員だった。しかし、このまま中途半端な志向を続けると、映画人北野として命取りになりかねない。北野ファンだからこそ、そう憂うのだ。
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