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[コメント] オッペンハイマー(2023/米)

まだこんな論点をうろうろしているのかと米国人を叱り飛ばした日本人は多かろう。確かにこの映画、主役の内面を描くことで原爆使用の賛否を問うドラマにも見える。しかし、そうだろうか。
ジェリー

私には決断と挑戦にかかわる人間の可能性と限界についての、答えのないケーススタディに見える。

目標達成のプロセスにおける心の輝きや、その成功可能性と失敗可能性に心が揺らぎ振幅する有様、挑戦者としての高揚と消沈、様々な他者からの激励と干渉、さらにもっと微妙な影響や、後出しじゃんけんの得意な社会からの身勝手評価も含めて、決断者が出くわす様々な事態こそ、クリストファー・ノーランが描きたかったことなのだ。

私は長く、クリストファー・ノーランを時制の創造的破壊と再構築だけの人と矮小化してしまっていた。しかし、本作を見て、改めて間違いだったと思う。改めて、いま『ダークナイト』を思い出す。あの映画において、決断の苦渋について、ゴッサムシティ市民全体が問われる事態が描かれていた。あの時既にノーラン監督は、決断の持つドラマ的性質や人間臭い特質、さらには悪魔的な陥穽に注視をしていた作家であった。今回も監督はそこにテーマを絞っているように思える。

他の鑑賞者は、本作について、もっと多様な見方をしているかもしれないが、どうしても私はできないでいる。というより、したくない。

まず、政治ドラマ、すなわち政治に翻弄された主人公という見方で本作を観ようとすることは決定的に間違っている。その理由は、原爆使用に関するアメリカ政府内の意思決定プロセスがあまりにも描かれなさ過ぎている点にある。政治ドラマであればそこに描写の筆が集中するはずである。そうでなければ、見る人たちにアンフェアだ。作風からしてこの監督はアンフェアを嫌う人だ。

アメリカが原爆を使用したことの倫理性を問うドラマでもない。いや、この言い方は厳密さを欠く。映画を子細に見れば、実は問われているし、答えも明確にかつさらりと描写されている。しかし一方でオッペンハイマー博士の戦後の行動についてのいくつかのエピソードから、この映画がそこに力点を置いていないということもまた周到に示されている。 ノーラン監督は極めて聡明な作家である。簡略に描写することで誤読を生むかもしれないが、克明に描写したところでどうせ誤読されうると読み切った、この監督らしい豪胆な判断を感じさせるシナリオだった。本作が日本人の目に触れることも監督は想定していたであろう。 アメリカ人受けだけを狙った作品とは到底思えない。しかしアメリカ人に受けることは必要条件だったはずで、この作品を国民感情という蟻地獄に落ちないようにするために慎重な回避策をとったとして、それをもってこの映画を非難するのは狭量に過ぎるのではあるまいか。

テーマについては以上の通りである。しかし、テーマしか語れない映画はそう良い映画ではない。

そこで最後に、この映画の美術と撮影の魅力について触れたい。その時代らしさの表現がこんなにうまくいっている作品も珍しい。研究室とはこうもあろうかというリアリティ。核実験場の臨時の学者村のたたずまい。量子力学に関する主人公の関心の心の高まりを、星々のように見える画面や振動する光の輪の画面で抽象的に描写した場面など本当に素晴らしい。高貴と言ってもいい表現である。炸裂の瞬間の光量、あとから押し寄せる音響。こうした細部表現も実に効果的で手際が良い。3時間あっという間に過ぎてしまった。

言わずもがなの最後の一言。キリアン・マーフィ最高だ。

(評価:★4)

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