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[コメント] 善き人のためのソナタ(2006/独)

戦場のピアニスト』の逆視点。良かったんだけど、一番描きたかったことって何だったんだろう?
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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ピアノの演奏によって価値観に捩じれが生じ、救済が発動するっていうところでは『戦場のピアニスト』に似ているかも。もちろんたまたまだし、本作はその曲の登場の前にブレヒトの小説もあるから、そこまでピアノの演奏だけが決定打というわけでもない(そういった意味では邦題は少し誤解を生んでいるのかも知れない)。ただ『戦場の…』は原作者の思いはともかくも、監督は「芸術が人間らしい魂を取り戻したのだ」というようなことをあまり信じていなく、ひたすら冷静に俯瞰的に、人の価値観が翻弄されるありさまを提示していた。そこに確かな監督の「言いたいこと」はあったように思うのだ。それに対し本作は良かったんだけど、制作者は何を一番描きたかったのだろう、とちょっと思う。

もちろん一番が主人公のヴイースラー大尉の変節にあるのは間違いない。が、だとするとこの人物、実は複雑すぎて、あまりよく描けていないんじゃないか、という気もする。フィクションでそういうのもおかしいけど、実は想像上の人物なんだけど、もっといろいろな背景がこの人にはあるのでなないか、と思わせてしまうものを感じる。それはあまりいい意味で言ってるのではなく、作り手があまり突き詰めてないという感じで。実は教養の高い人で、芸術の真髄を見る目を持つがゆえに、女優の演技やドライマンの作家性を観察するにつれ、より真理に近しいものなのではないかと思うに至った、のか、職業に対する良心が強く、腐敗した上司たちの行っていることが許せず、次第に自らの属する体制に疑問を抱くようになった、のか、できれば女優を抱きたかったのか。もちろんそれらがないまぜになって、あの行動に出たのだろう。だとしたら、「なぜ彼は(私は)そうしたのだろう」というところをもっと掘り下げて欲しかったと思う。彼を主人公にして描くなら。

実際、人がある行動を起こす際に、明確な理由が絞れないことは多いのだと思う。『戦場の…』や、『シンドラーのリスト』なども、なぜかふと気まぐれ的に人を救ってしまうことになった人間が出てくるが、前者は主人公から見た他人であり、後者は監督の資質からか、なんだかよくわからない人を、監督があまり執着せずにスルーして描いてしまってることで、結果的に「人間は(自分は)よくわからない不思議な力で生かされる」というテーマに着地している気がする。本作はその「よくわからない行為をしてしまう」のが、主人公である以上、実はすごくハードルが高いのだと思う。冷徹なシュタージ局員の変節というドラマとしては、肝心なそこが消化不足という気がする。最後に抜群のオチのアイデアがあることを幸いに、何となくで済ましてしまったと言ったら言い過ぎですかね。。。

このドラマのもっともドラマ的な感情のピークって、実はラストよりもドライマンが自分が実は完璧に盗聴されていて、何者かによって「見逃されていた」ことを知るくだりのような気がする。ああ、私は見えざる手によって生かされていたのだ、と。ところが観客はドライマンと同じ位置で共感できない。盗聴されていたことを最初から知っているから。これって凄く作劇的にもったいない。順序を入れ替えて、壁崩壊後にドライマンが「なんで僕は監視されてなかったんすかね?」から始まり、いや実は、って遡る形式にしたらどうかな、とか思ってしまった。なんかそれじゃマスター・キートンにありそうだな。

本来もっとも目を向けるべき「魂の変節」を、出来の良いプロットだけで作品の完成度が成立してしまい、結果的に掘り下げなくても済んでしまった、という感じですかね。結構酷いこと言ってる? でも良かったんですよ。

(評価:★4)

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