[コメント] ダーティハリー4(1983/米)
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最後、ちょっと強引すぎないかしら?ハリーはハリーの方法で被害者たちのつながりに気がつき調べはじめたまではよかったが、ソンドラ・ロック扮する女と犯行との接点を何も見つけていないままラストで対決!というのはちょっと無理があると思う。キャラハンがピカピカのマグナムを持って現れたのは、同僚を無残に殺されたことでキレたから、というのが95%くらいだったとしか思われません。だって、キャラハンは彼女の車を発見しただけで、犯行の動機も被害者たちとの関係も何にもわかっていなかったはずでしょう。彼女と事件の関係もわからないままにとりあえず彼女を助けて、同僚のカタキをうつために、"C'mon, make my day"ってか?う〜ん・・・ちょっと強引すぎるかも。マグナム持ったハリーの登場シーンとこのセリフを中心に物語をくっつけたみたいな印象になってしまった感じがして、残念でした。
それに、もしかして彼女を助けたことになるわけ?ますます、納得できないラストですね。「殺したいヤツ」はいても「殺してもいいヤツ」なんてどこにもいない。どんなにヒドいやつらでも、勝手に命を奪っていいということはないと思う。レイプは申告罪だし、証明するのが非常にむずかしく、現行犯かもしくはDNAの一致でもなければアメリカでは訴えでても棄却されてしまうだろうから、泣き寝入りするしかないんでしょうね。(冒頭、キャラハンの違法捜査で事件そのものが棄却されてしまう、という設定がこの映画の意味するところなのかしら?)でも、もし殺人というかたちで復讐しようとするなら、逮捕されようとどうしようと正々堂々としててほしかったですね。自分たちの"human rights"がおかされてきたことを実証するチャンスでもあるわけだからね。思い切ったことやるんだったら、ヒロイックな感情にひたっていないで開き直っておナワにつけ!って言いたいね。
法の手の届かないところではびこる悪に対してrageにふるえていた第一作のハリー・キャラハンが好き。第一作のラストシーンがなつかしいです。「そういう理由があるんなら、しょうがないよね」と言ってしまったら必殺シゴト人と同じになっちゃう。自分にはどうすることもできないというはがゆさ、そのはがゆさからくる怒り、ジレンマ。ハリーのマグナムが炸裂するのは、そんな思いが炸裂するときだと思いたいのです。
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