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[コメント] アウトロー(1976/米)

これはおそらく、『許されざる者』に接続する作品。いや、イーストウッドのではなくて、ジョン・ヒューストンの。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「Outlaw」と呼ばれる時の「Law(法)」とは、勝利者としての北軍の定める法秩序に過ぎない。南軍の一部隊のリーダーでありながらも仲間に投降を促した当人でもあるフレッチャー(ジョン・バーノン)が、ジョージー(クリント・イーストウッド)の実力と気概を評価しているが故に、ジョージーを見くびっているテリル大尉(ビル・マッキニー)より遥かに追跡者としての能力を発揮するアイロニー。

終盤の、老婦人まで参加しての、家での籠城戦。彼女が強盗に襲撃された際の、悲劇性を象徴するピアノの扱い。ヒューストンの『許されざる者(The Unforgiven)』を想起させられる。籠城戦が「家族」を守る闘いとなる点は共通しているが、その「家族」の意味がまるで異なる所に注目したい。ヒューストンは原住民との闘いを描いていたが、イーストウッドは原住民との対決は話し合いで解決し、むしろアメリカそのものの分裂としての南北戦争を、正史に於いては終了した後でなお、歴史の埒外の小さな場で、闘うことになる。原住民との闘いに備えて「棒を熱しておけ、撃たれたら傷口をそれで焼いて止血するんだ」とか、「ここは弾丸は通さないが、天井を破って侵入されるぞ」と注意してあったことも、北軍の連中との闘いに於いて現実化することになる。そうした形で引き裂かれてある「アメリカ」は、守られるべき「家族」もまた、本来の家族から引き裂かれた人々の集まりであることと表裏一体のものだ。

「アメリカ」と「家族」の、解体と共に為される継承。『グラン・トリノ』ではイーストウッド自らが、継承者へのバトンタッチをする側に立つが、その彼自身が、解体的な継承者であったのだ。ヒューストンといえば、イーストウッドは後に『許されざる者(Unforgiven)』と題された作品を撮るのみならず、ヒューストンの『アフリカの女王』制作に材をとった『ホワイトハンター ブラックハート』を監督してもいる。

イーストウッド的主題としての、「アメリカ」と「家族」。そして「暴力」と「キリスト教」。冒頭シーンで妻子を虐殺されたジョージーは、墓に立てた十字架に縋りついて「灰は灰に、塵は塵に」と聖書の一節を唱えるが、嘆きのあまり、十字架を倒して崩れ落ちる。宗教は、ジョージーにとって事後的な慰めにさえなっていないようだ。そうして彼は銃の練習に勤しむ。終盤、彼が再び手に入れながらも、それを守るために立ち去ることになる「家」。去ろうとする彼の前に立ちはだかった北軍に向けて、「家」の皆が銃を構えるが、それは「十字」型の窓から挿し出されるのだ。キリスト教と暴力の、捩れた総合。ここでもやはり、解体と再結合の微妙なあやが描かれていると見ることが出来る。

河渡しの男が、ジョージーらに愛想を振りまきながら、追跡者が呼ぶ対岸へ戻るシーン。中ほどまで来た辺りで、急に北軍の“リパブリック讃歌”を口ずさむカットは、迫り来る危機を感じさせてサスペンスフルであると同時に、なんとも可笑しい。「敵/味方」の曖昧な境界としてのこの河は、フレッチャーの立ち位置の曖昧さとも相通ずる。その曖昧な境界に線を引く「法」によって自らの暴力から悪としての色合いを払拭しようとする勝者。

ジョージーが最後に追い詰めたテリルの眼前で空の銃の引き金を何度も引くシーンでは、それに合わせて、妻子が虐殺される光景がカットインする。ジョージーはテリルに、殺される瞬間の恐怖を幾度も味わわせているようでもあるが、また、殺す行為の虚しさを噛み締めているようにも見える。結局、テリルの死は、自らが鞘から抜いた刀剣によって刺し抜かれるという形で訪れる。何とも苦い復讐劇。ジョージーが早撃ちの名手となったのは、妻子を殺されてからのこと。その証拠に、特訓シーンでは、何発か外していて、百発百中ではない。もう一つのジョージーの変化は、襲撃シーンで顔に受けた刀傷だ。これが、お尋ね者としての彼の目印ともなるのだが、これは、相手の刀剣による復讐という結末と見事に対応している。

相手の暴力を、そのまま相手に返すということ。イーストウッド作品では、大抵、彼は相手が銃を抜くのを見た瞬間に、先に撃つ。得意の早撃ちは、単なる見世物的なアクションではなく、それ自体が一つの倫理(殺そうとしてくる者だけを殺す)を担ってもいるのだ。本作でも、自分を狙ってやって来た賞金稼ぎに「去れ」と告げ、相手が戻って銃を抜いた瞬間に射殺している。

ソンドラ・ロックが何とも可憐で愛らしい。大きな目を見開いたその表情の、明るい純潔さと、透明な繊弱さ。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (4 人)けにろん[*] 赤い戦車[*] ぽんしゅう[*] 3819695[*]

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