[コメント] ベニスに死す(1971/伊)
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神経質ななまでの小刻みな動き、怯えやうろたえと陶酔の間を行ったり来たりする表情、絶えず周りの視線を気にするどこか弱気な目の動き(エレベーターでの自意識過剰振りがまた秀逸)。この映画には徹底してナレーションがない。彼の饒舌な演技が主人公の独白であり、ナレーションの役割を果たしている。そしてその言葉を排した空間があればこそ、あれだけマーラーの音楽が効果を発揮しているとも思える。こんな作りの映画で130分もたせられるのは、何よりダーク・ボガードの一人芝居があってこそ、と確信する。
アッシェンバッハがタッジオを前にしての狼狽は、愛情が性の垣根を越えてしまったことや、親子ほども年の離れた若者に恋してしまったということよりも、「美は努力や気高い精神によって生み出されるもの」という信条(回想シーンの友人との論争で明らかにされている)の前に、突如として生まれついてとしか思えない「美」が現れたことへの驚きが根底にあるように思える。時折2人がすれ違う際に、タッジオの口元にあらわれる微笑は、モナリザのそれと同じく曖昧でどこまでも「謎」である。その謎のような「美」に翻弄され、「美」の秘密の追求に魅せられてしまった初老の男の話とも言える。
賛否両論の化粧に関しては、あれはラストで毛染めが黒い筋を残して流れ落ちるために用意されている、と言い切ってしまいたい。彼はその謎のような「美」を前にして、それに少しでも見合うべく彼の「努力で勝ち取る美」の最後のあがきを見せたような気がする。結果は敗北。ラストで流れ落ちる化粧とともに、彼の「美」に対する考えも跡形もなく崩れ落ちる。もはやこちらには何も語りかけようとしない「美」を前にして、全ての信条を捨て崇拝することの喜びに身を浸して死んでいった彼は、幸せだったと思いたい。
トーマス・マンの原作を借りながらも、主人公はマーラーをモデルに置き換えたらしい。そして回想シーンの論争には、シェーンベルクなどが席巻していた音楽界が背景にあるらしい。そのことを考えると、時代の波に乗り切れずに、周りから理解されない音楽を紡いでいた彼の苦悩が二重写しになり、より深い感銘を受けずにいられない。
とはいえ、身を滅ぼす程の「美の追求」とは、あまりに耽美。感銘を受けることはできても、根っからの俗物なので共感はイマイチできない世界であることも告白しておきます。年取ってから見ると、また違ってくるかもしれんが。
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