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[コメント] ゴジラの逆襲(1955/日)

これが最初の過ち
kiona

 アンギラスの描写、ゴジラの倒し方は円谷の手腕が遺憾なく発揮され、見事の一言。両者の獣丸出しハードコア・バトルには、キンゴジ以後ではお目にかかれない、『ゴジ・モス・キン・バラ』にさえない痛々しい迫力がった。

 だが、惜しむらくは本編だ。初代ゴジラに確実に脈打っていた戦争、というよりは戦時中的悲壮感が全く消え失せ、神風礼賛のような戦後的発想の中身になってしまっている。それならそれで、娯楽になってくれてさえいれば良かったのだが、形骸化した初代の影だけが行き場を失ったように漂っており、結果的に中途半端な印象を与える。せっかく千秋実が出てくれていて、しかもその役所はいかようにも転びそうな可能性を秘めていた。大ヒットの尻馬に乗ろうとするのではなく、もう少し時間をおいて前作を見直し、むやみに娯楽を求める世間の声ではなく、ゴジラの可能性そのものを突き詰めれば、第二の戦争メタファーとして傑作になり得たはずだ。早い話が、同じ脚本で本多猪四郎が撮っていてくれたらと、残念でならない。(或いは、本多は、この脚本を拒んだのであろうか?)

 その特撮は、対決ものの可能性を存分に発掘した。しかし、その本編は、ゴジラの可能性を最初に埋没させた。結局の所、この一本が、その後のゴジラの迷走を決定付けたのである。この七年後に本多は『キングコング対ゴジラ』を撮るが、その余りに潔いコメディー路線への転向ぶりは、高度経済成長期の風潮を読んでのことであると同時に、初代の延長としてのゴジラの可能性に見切りを付けてのことだったと、自分は考える。この一本の後ではどうにもならなかったはずなのだから。…はっきり言おう。こんなパート2なら、ない方が良かった。

(評価:★3)

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