[コメント] ナミビアの砂漠(2024/日)
カナ(河合優実)は、長い手足をひらひらと舞うように街中を闊歩し、長い手足を施術服の内側に封印するようにお仕事をこなし、長い手足をぶるんぶるんと振り回し悪態をつきながら男に殴りかかる。カナの“長い手足”は武器なのだ。理屈じゃない身体なのだ。
山中瑶子と河合優実は共闘し、今(2020年代)を生きる“若い女”が内包する矛盾や葛藤をすべて肯定し、世間(それは、いまだ多分に男の理屈で成り立っているのだが)に向けて無条件に発散する。
ごめんね。ほんとうにごめん。と、山中と河合に“矛盾や葛藤”を投げつけられた男たち(金子大地/寛一郎)はすぐに謝る。謝罪は男が難題から逃げるときの常套であり、謝罪の“言葉”など何の問題の解決にならないことを本能(=歴史的経験)として女たちは知っている。
だからカナは謝らない。カナは同志である女友達には度を越して優しく、生活の糧を得る手段でしかない職場では感情に蓋をし、惹かれるべき相手でありつつ本能としての苛立ちの原因でもある男たちには激しく感情をぶちまける。カナは女の本音に誠実で、身体に忠実なのだ。
ただカナは、世間的には真っ当とされる大人(渡辺真起子/堀部圭亮)たちに、まるで無意識のように「ごめんなさい」という言葉を口にする。それは謝罪の言葉ではない。カナの「ごめんなさい」は「私は世間(大人)に合わせられない人です」「私はそれを自覚しています」という意思表明であり“ご挨拶”の言葉なのだ。
ごめんなさい。自分が悪いなどとは思っていません。そう挨拶する“隠れカナ”が、すでに世間(しつこいようだが、それは、いまだ多分に男の理屈で成り立っている)には溢れているのだろう。
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