[コメント] TAR/ター(2022/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
劇中、「慣れた曲だからといって気を抜かないで」という言葉を添えながら「ヴィスコンティ」の名を出します。「マーラーの交響曲第5番」「ヴィスコンティ」といえば、当然、『ベニスに死す』ですよね。つまりこの映画は『ベニスに死す』の本歌取りなのです。
ちなみにマーラー作品が頻繁に演奏されるようになったのは70年代以降だそうで、『ベニスに死す』の影響らしいですよ。ケン・ラッセル『マーラー』ではないようです。ウププ。てゆーか、ケン・ラッセル作品をデジタル・リマスターしてほしいな。
ダーク・ボガード同様、ケイト・ブランシェットも若者に一方的に恋をします。しかし、半世紀も時を経ると事情が変わってくるものです。かつての耽美主義は、今や一歩間違うとハラスメントです。この映画は、「芸術家の美の追求欲」と「権力者のハラスメント」を混在させて描いていきます。
ただ、我々観客は、この映画の「視点」をどう捉えればいいのでしょう?言い換えれば、誰に感情移入して観ればいいの?ということです。被害者側の視点で権力者を告発する作りであれば、「権力者のハラスメント」というテーマは理解しやすいでしょう。しかし本作は、原則、ター=権力側の視点で語られます(彼女をスマホで撮る第三者視点は何度か出てきますが)。だとしたら、これは『炎上』の雷蔵なのか?とも考えられますが、ターの本音をそれほど掘り下げているとは思えません。
なんかねえ、不思議な距離感の映画なんですよ。話も映像も、なんなら事情や設定の説明の仕方も、ストレートじゃないというか、変な距離感があるように思うんです。そこがこの映画の面白い所でもあるし、逆にのめり込めない要因でもあるように思います。
そしてこの映画は、長い時間をかけて「芸術家の美の追求欲」と「権力者のハラスメント」の曖昧な境界線を描いた果てに、「再生の物語」へと行きつくのだと私は思います。
実家(?)で昔録画したVTRを観て、かつて純粋に音楽に燃えていた自分を思い出すのです。そして、ベトナムのマッサージ店でゲロを吐きます。「ズラリと並んだ女の子、選りどりみどりですぜ」の直後です。それは権力をかさに着て、コンサートマスターやら指揮者志望の秘書やら新人楽団員やら「選りどりみどり」だった過去の自分と重なったのでしょう。
私はこれを「再生」と読み取ったのですが、別世界で再び同じ過ちを繰り返しかねない「再現」と読み解く向きもあるようです。何が正解なのか分かりませんし、何故モンハンなのかも分かりません。それも含めて、不思議な距離感の映画でした。
余談
『地獄の黙示録』が引き合いに出されますが、あれ本当に『地獄の黙示録』のことを言ってた?『地獄の黙示録』のワニのシーンってどんなだったっけ?日本語字幕は『地獄の黙示録』と書かれているけど本当はジョン・フランケンハイマー『D.N.A./ドクターモローの島』だってネット情報もあるんだけど、誰か真偽のほどを調べてくれないかな?いやまあ、どっちもマーロン・ブランドが最果ての地で自己の楽園を築く話に変わりはないんだけど……。
(2023.05.21 吉祥寺オデヲンにて鑑賞)
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